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「民俗学」講義終了

2012/07/29 Sun 00:00

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7月26日。全15時限の「民俗学」講義も無事終了。
昨年は「夏季特別集中講義」でしたが、2年目の今年は「前期」の授業に。
何度も書いてしまってますが、1日3時限で5週間。
毎週木曜日、朝9時から午後2時半までの授業でした。

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最後とあって、この日は出席率が一番高かったかな?
毎回授業最後に提出する「リアクション・ペーパー」と、
1週間後に提出が義務付けられ?ているレポートによって、成績がつけられます。

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最終日は、No26「アマ・ルール ~バスク 大地の人」とNo50「越後奥三面 山に生かされた日々」を上映。
写真にあるように、本「山に生かされた日々」を持って、刊行したときのエピソードなどを語りました。

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授業の後、留学生の学生さんたちとご歓談。
また北海道から来た学生さんが「民俗学をやりたいです!」と話していました。

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学部長の高橋世織先生の話しでは、今年(と言っても新設大学なので初めて!)のコース選択では、
ドキュメンタリーのコースを志望する学生が多く、定員オーバーしたとのこと。
劇映画の人材を多く輩出してきた日本映画学校としては非常に珍しいことだと聞きました。
近年多くのドキュメンタリー映画が製作され、一般の人にも目につく機会が増えたことが
原因?にあるのでは、と私は思いました。

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学生に混じって、おやおや顔見知り! 今井友樹くんも授業を見学…というか参観。
彼も日本映画学校の卒業生。卒業と同時に民映研にやってきて、
7年以上も働き、現在はフリーの監督・脚本家として頑張っております。
姫田を心配して、今日は特別に観に来てくれたようです。

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最後に記念撮影!
「また来年も聞きます!」という声も。
今年単位を取得すれば、来年選択しても成績に関係ないんだけど・・・
でも、実際、今年の授業、2名の学生が昨年成績が付いたにもかかわらず、今回も参加。
それも全日参加で、毎回レポートを出すし・・・こういった熱心な学生が一番姫田は喜びます。
また、傍でみている私としても、なんとも頼もしい限りでして・・・。

さて、来年はどういう時期や時間割にしますか?と学校側から言われておりますが、
どうなりますことやら。 とにかく姫田本人はやる気満々です。

**********************

≪長いぞ~≫

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(今井友樹くん撮影)

さて、私事ですが、この度7月末を持って株式会社民族文化映像研究所の役員を辞めることになりました。
普段は滅多に人目に付かないようにしておりましたので、結構「あの人だれ?」と言われておりますが、私が姫田蘭です。
これは民映研の家訓で、「一歩も、二歩も下がれ!」と、父・姫田忠義の薫陶を受けてまいりました、いわば成果であります。近年のアチックなどに来られる方には、お会いする機会がありませんでしたね。
しかし、私、結構古株?でして、こう見えてももうすぐ50歳になろうとしてます。
民映研の作品は、ほぼリアルタイムで、なにやかやと見知っており、育ってきました。
なにせ姫田の息子なのですから、旅先、スタジオ録音後などは作品のことを嫌と聞き育ちました。
この日上映した「越後奥三面」にしても、完成前、高校生の頃訪ね、都会っ子の私はさっぱり新潟弁が理解できず、ただただ「ハイ、ハイ、」と言っていた情けない自分を思い出しました。この時はちょうど「越後奥三面第2部」で使われています姫田の「この村を持って、俺は飛んで逃げたいよ!」を撮影した時でした。カメラ(撮影は堀田泰寛さん)の後ろで我が父ながら「なんとも恥ずかしい」と思ったものです。

民映研のおかげで大人になった・・・なんて、稀に聞く言葉ですが、正直、私の場合は正真正銘「そう」なのです。まだ「名前」が無かった頃の作品、初めて看板上げて「民映研」になったあの日、無茶と知りながら次々と民映研の扉を叩いてやってきたスタッフ達。思い出は尽きません。勿論「下から目線」でしたが。
しかし自分にとって最大の出来事は、やはりベルリンの壁崩壊の時と同じように驚いた「新宿からの移転」でした。なにせ全てのスタッフが反対するであろうと思われた鶴川への移転。姫田も73歳になり、そのことを皆が考慮してくれて、自宅近くの鶴川へ引っ越してくれたと思われます。ちょうど10年前、2002年末のことでした。
鶴川移転後はスタッフも減り、なんやかんやと近くに住む私の出番も増えました。
そして、そこへ救世主が現れます。上の写真にもある今井友樹くんの登場です。
とにかく彼は7年間、ほぼ毎日、姫田を自宅に迎えに行き、帰りも送り届けるという。
もちろん撮影時は演出部として立ち回りますが、最終的には事務局までさせられてしまいました。
姫田家としては、まったく彼に頭があがりません。いままでにも姫田の助手を務めたスタッフはいましたが、だれひとり「助手」なんて思って働いていたスタッフはいなかったと思います。でも彼は「助手です!」と言い、寝坊もせずに毎日送り迎えをしてくれたのでした。姫田がかつて良く言った「同志」的結束や単に雇用関係でもなく、最後まで親炙してくれたスタッフは彼だけだったかもしれません。そんな彼も今は独立し、様々なところで演出、監督として働いています。来年には自主制作の映画も完成するようです。

2012年夏、民映研は引っ越しをいたしました。新しい陣容を迎えました。姫田も84歳になろうとし、この度代表からも退くことになりました。ひと月遅れの「民映研通信」が近々発送され、詳細のご報告もあると思います。
でもどのページを探しても、私の名前は出てこないでしょう。とにかく影なる存在として、過ごしてまいりました。この場を借りて御礼申し上げます。
                              (姫田蘭)

(2007年より私が始めたこのブログですが、近年はさぼりがちで恐縮です。
これをもちまして、私の記事は終わりです。)
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