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豊松2

2011/10/25 Tue 01:52

豊松での「日本山村会議」は無事に満足と共に閉幕した。

 元豊松村には、宿泊施設はなく、大勢の人を他所からわざわざ呼びイベントをするなんて事は他人事で、まさか自分たちがそれを主宰するなんて晴天の霹靂であって、始まってからも俄には信じ難いのだった。
 豊松に暮らすものにとって、他所からわざわざ豊松に泊まりがけで来て何をみたいのか?何が知りたいのか?豊松には何にもない。人口も減ってる。高齢化社会。限界集落。何にも見せるものなんかない。ともかくここには「なんにもないんだよ」と、この事であった。

 民映研の仕事に限らないが、映像の仕事とは取材される人々にとって実にイレギュラーな存在。日常から非日常へと空間が歪む。カメラがいると普通がなくなる。それこそ民映研以前、宮本常一さんが日本を徘徊していた頃も旅人・宮本さんはイレギュラーな存在だったと思う。ただし、娯楽も少ない時代の事、それは楽しみや喜びのエッセンスが多いイレギュラーだっただろうと推察する。つまり、知らない人間が訪ねて来て色々と話が出来る楽しみ。
 ところが高度成長期を通り過ぎようと言う頃から、カメラで撮られるとたいへんな事になると皆に知れ渡ってしまった。幕末ではないのでさすがに命が縮むとかは思わないが、自分が写った映像が笑いの種になる事を知ってしまったのだ。だから、出来たら写りたくないと考える人が女性を中心に増える。それでもカメラは人々に近づいていくのだ。
 カメラを甘んじて受け入れても、出来るだけ笑い者にならないように気をつけながら撮影されていた。それなのに撮影者たちは「普段通りにしていて下さい」なんて勝手な事を要求する。ばかも休み休み言えって事だ。これこそがイレギュラーな瞬間。
 しかし、レギュラーな空間にイレギュラーが入り込むと、様々な発見も生み出すのです。それは撮影者である私たちの事ではなく、まさにイレギュラーな状態に追いつめられた撮影される被写体たる人々の心境にです。それまであまりにも当たり前で、そこにいると気付かない色々な事にイレギュラーな状態では気付くのだ。
 「当たり前」とはある小さな範囲での価値。井の中の蛙的な価値でしかない。日々の仕事や毎年の祭りなど、そこの人々にとっては当たり前であり珍しくもないもの。それが別の価値観では新鮮で珍しく楽しく学びの多いモノだったりするという新しい価値をイレギュラーは運んで来る。それが撮影隊がもたらす、唯一といってもいい位の効能。

 それと同じ事が、豊松の第八回山村会議実行委員会メンバーに起きた。
 新しい価値がある事を知った。自分たちが当たり前で珍しくもない数々のモノを新しい視点で眺める方法を参加者から学んだ。実行委員会メンバーにとって山村会議参加者は「イレギュラー」なモノだったのだ。
 ともあれ、準備段階では山村会議をやる意味さえ疑問だった人が「やって良かった」との感想をもらしたのだ。
 なんでも、取り敢えずやって見なければ分からないんだなー。
をはら筆
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民映研の日常
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