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町割り

2011/08/08 Mon 12:05

関東人には理解しにくい仕組みに、京都の住所表記がある。「四条河原町上る」とか表現されている。関東人には何となく風情を感じて平安から続く町は何か違うんだなと思ったりする。
しかし、住所を頼りに目的地を探そうと思うと、なかなか思うようには行かない。
東京なら、例えば港区というある範囲。南青山と云うもっと小さな範囲。丁目と呼ぶもっと分かれた範囲。そして番地がある。その番地の中に号番号が付く数軒から数十軒の家屋が建っている。番と号は大概右回りで指定されていて、ある号から右隣は数字が増え、左隣へ進むと数字が減る。丁目は東京の中心皇居に近い方が一丁目。そこから順に離れながら数字が増えていく。
つまり、東京の番地指定は「面」で構成されているのです。「田」の字の外周が町名。四つの四角が丁目。この丁目の中にまた田がある。今度の田は外周が丁目。四つの四角が番地。その番地の中に号に分かれた家屋が配置されているのです。
ですから、お祭りなど町内で神輿を出したり、山車を出したりするときにはひとつの四角にひとつの神輿となります。
つまり、我が家を出て道路を挟んだお向かいさんは別の町内で、別の神輿を担ぐのです。場合によってはライバルであります。

ところが、京都や奈良などの平安ながらの地割りの地域はルールがまったく違うのです。
ですから、東男にはまったく分からないのでありました。

京都の町家式町割りの基本は面ではなく筋である事。筋つまり道路です。
ご存知のように町家はうなぎの寝床状態で間口よりも奥が異様に深い。道路の面した部分の長さで課税されたので、正面を狭く、奥に長ーい建物になったとか。
その筋に面した両側が同じ町内。通りから通りへの道路に面した家屋は同じ町名です。ですから、河原町の右側左側何番と表現されるのです。
しかし、右左だとどちらから眺めた時の右なのか左なのか分からないので、東西南北碁盤の目に都市計画された京都では北を上る南を下ると表現したのです。

そんなこたー知ってるよって輩がこのブログを見る方々には多いでしょうが、私はこの夏、奈良のならまち取材で始めて理解しました。掛け軸に仕立てられた古い町割り絵図を眺めれば、その構造は一目瞭然。
町内の様々な催し、地蔵盆だとか庚申講などすべては向かい合った家が参加して行われます。

うなぎの寝床の町家は表は道路に面して整備されていますが、裏は長さがそれぞれなのでがちゃがちゃです。裏同士が隣接してもそこは隣の町内会なのです。裏の事なんか知ったこっちゃねー。
ですから絵図で俯瞰したみると、決して整理整頓された面にはなっていないのです。

地面と言えば面だとばかり思い込んでいたので、筋の構造は容易に理解出来ない頭の固さが災いしました。

をはら筆

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