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《姫田蘭 記》

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5月9日。
広島市へ撮影に出かけた帰りに「豊松祭事記」の地、神石郡豊松村(現・神石高原町豊松)へ寄る。
2004年に4町村が合併し、「豊松村」という行政区は無くなってしまった。
僕がこの村に行ったのは、なんと39年前。昭和47年(小学1年)の年の瀬に、我が家族、伊藤碩男カメラマン家族、そしてまだ20代の若々しい澤幡正範カメラマンとで豊松に行ったのが最初。正月行事や神楽の撮影に出かける伊藤さんと父(姫田)に家族たちが大挙してクッツイテ行ったのだった。そして2回目が映画が完成した昭和52年(小学6年)の時。この時は夏休みを利用して我が家族だけで出かけたのであった。

なので、豊松に出かけることは実に33年ぶりということになる。
滅多に地方にでない僕。せっかく広島まで来て、東京から車でやってきているのだから寄らない手はないな・・と、東京を出るときから思っていた。しかし、お世話になった豊松の人に知らせるには予定が不確定だったので来訪を知らせずじまい。
午前中、広島駅近くのホテルを出て車を走らせる。福山市あたりを北上するルートが正当なのだろうが、倹約して三原市あたりで高速を降りる。カーナビの言いなりに走りだしたのだが、途中で物凄い山道(ちゃんとした県道なのだが・・)を走らされる。普段なら不安に思うかも知れないが、最近導入したナビの言うことなので、「なんとか着けるでしょ」と、とにかく生まれて初めて走る山道を行く。

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山道の峠道、「神石高原町」という看板に出くわす。
思ったより早く到着したな・・と思ったのだが、まだまだ目的地までは16㎞ほどあった。広い町内だ。
方向としては西から豊松に近づいているようだった。

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旧・豊松村エリアに入ったようだった。合併前の看板がある。
こういうモノはいつまで残して置いてくれるのだろうか?

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旧・村役場は現在出張所になっているようだった。
途中通った現在の村役場より立派な感じを受けた。
今年秋に開かれるであろう「山村会議」ではお世話になるところかな?

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総鎮守・鶴岡八幡宮。
ここの赤木勇夫宮司には当時大変お世話になった。「豊松祭事記」では対話体のナレーションで赤木さんは解説してくれている。しかし何せ33年ぶりなので、僕はこの境内の記憶が全くなかった。映像で見るともっと広い境内ではなかったかと思った。

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《「豊松祭事記」のフィルムから》

これが昭和44年の遷宮祭の映像。この境内に大勢の村の人が集まっていた。
実はこの時の撮影、民映研では記念すべき映像なのだ。とにかくカラーフィルムで残る最古のショット。伊藤さんと姫田でこの遷宮祭の撮影を皮切りに7年かけて「豊松祭事記」を自主制作したのだった。最古というのは、第1作の「山に生きるまつり」より古いフィルムということ。

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東京の父に電話したところ、「とにかく米見山に登り、村の景観を見よ!」との指令がきたので、村中心部の裏側にある独立峰・米見山(現在は展望施設になっている。近年は紙ヒコーキの大会で有名らしいが・・・)に登る。
登ってみたところ、「ああ、そうか、ここで撮っているんだな」と、映画に出てくる見覚えのある景観が広がっていた。当時は車道なんぞ無かったのではないだろうか? そして伊藤カメラマンも運転免許を持っていなかったので、重い機材を担いで何度もここへ登ってきたのだろうと思うと感慨深い。

さて、東京に戻らねばならず、ナビに自宅へ戻る設定をしたところ・・・距離780㎞と出た。東京は遠い。ひとりで運転するにはちょっとキツイ距離だ。しかし今日中に戻らねばならず、お世話になった方々だれともコンタクトを取らず戻ることにした。ナビというものを最近つけたので、ほとんど道に迷うということがなくなった。山頂から下り始めると、どうやらナビは左に曲がれ、と言う。しかしまだ残っている僕の野性の感が「右でしょ!」と言う。
山道を右折した直後、「あれ? この景色は・・」という家の上に出た。


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なんと偶然にもお世話になった内樋さんの家に出たのだった。
内樋さんも赤木宮司と一緒にナレーションをし、映画の中では重要な登場人物。この家も何度も登場するものだから記憶が蘇ったのだろう。しかし表札を見るまで確信が無く、恐る恐る車を降りてみたところ、確かに「内樋家」だった。

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《これも「豊松祭事記」のフィルムから》

確かに屋根など葺きかえてしまっているが、当時のままと言って良い佇まい。内樋さんは15年ほど前にお亡くなりなったと聞いているが、奥さんはお元気だと聞いている。


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《これも「豊松祭事記」から 当時の屋根。》


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意を決して開いている玄関で声をかけた。「こんにちわ! 東京の姫田です」。
すると昔囲炉裏端だったところでテレビを見ながら横になっていたおばさんがムクと起き上がり、「大ちゃん?」と言う。おばさんにとっては兄のほうが印象が強いようだ。何せ兄は正月にこの家に泊まり、映画の中ではちゃっかり家の子どものように正月料理を食べているシーンがある。


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内樋さんの奥さん。映画の中ではこんにゃく作りから何まで大活躍。お生まれは昭和2年。まもなく84歳になられるという。父のひとつ年上ということだ。
突然33年ぶりに訪ねた僕を覚えてくれていた。元気に畑に出られているそうだが、村の重要な換金作物である「こんにゃく」は作られていないそうだ。映画の中で内樋さんが「なにしく、こんにゃくは土の中に住むものですから・・」という名台詞のこんにゃくの栽培。当時豊松の農業は「米、タバコ、こんにゃく、牛」が換金作物としてなりなっていたはず。国策としてのタバコ生産はいまや壊滅し、日本の山村の換金作物のあり方は大きく変貌したのだろうが、豊松の有名なこんにゃくもやまってしまっているとは何とも考えさせられてしまう。

また来ることを誓い、東京に戻ることに。帰路は東条インターに出て、中国自動車道、そして名神・中央道と車を飛ばす。ほんの1時間ほどの滞在ではあったが、偶然にもお会いできた方がいたり、実り多し。

作品6「豊松祭事記」はこのたび新しくテレシネ作業をして甦った。近日小さな上映会を予定している。
ここのところその準備で「予告編」ならぬダイジェスト版をYouTubeに公開している。これは民映研としては画期的なこと。権利関係などで僕自身もこのような公開に二の足を踏んできたが、これからはもっと広く、民映研なんぞ知らない人に少しでも映像を観てもらおうという試みで踏み切っている。チャンネルに登録してくれる人も、たった3人だが、これから登録してくれたり、コメント書いてくれることを大いに望んでいる。


→ 民映研のYouTubeチャンネル「民映研プレス」!





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