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日の目を見る11

2011/05/01 Sun 13:36

「火災の教訓と重要文化財蘇生への歩み~旧太田家住宅焼損復旧修理工事の記録」の完成上映会は東日本東北地震大津波の影響で延期になっていますが、今年9月頃に開催するべく活動しております。お楽しみに。
 
 現代の建て売り住宅の工事などを眺めると、型枠にコンクリートを流して基礎を作っています。17世紀に立てられた旧太田家の頃にはコンクリートがなかったので、叩き突き固めた地面に礎石を置いて礎としました。柱の数だけ石が並べられているのです。単純なイメージで表現すると、碁盤の眼のようになります。線の交点に礎石がありそこに柱が立つのです。その礎石と柱の位置を表す「符号」があります。
碁盤の目の縦線を「い・ろ・は・・・」で表現し横線を「一・二・三・・・」と表す。一番端っこの角が「い一」番です。縦に四つ、横に六つの交点は「に六」番。「にのろくばん」と呼びます。これは交点を表す符号ですから、柱の名前でもあります。
では柱から柱へ渡る梁や桁は、どのように表現するのかというと、い・ろ・は・・・の列は「い通り・ろ通り・は通り・・・」と呼び、一・二・三・・・の列は、「一通り・二通り・三通り・・・」と表現する。
そして実際に17世紀の柱や梁を解体してみると、仕口には墨書きで「い七」とか書かれている。その「い七」の仕口の反対側には「い二」と書かれている。つまり、この材は、い通りの梁で、い二番の柱からい七番の柱へ渡っていると分かるのである。全て部材にそれらの記入がある。

 下の図で説明すると、画面一番手前の柱が「い一」で、その左横が「ろ一」そして「は一」「に一」・・・「と一」まである。「い一」の右となりは「い三」となる。礎石と柱は「い一」の隣なのにどうして「い三」へとんで仕舞うか?「い二」は地面と接触せずに梁の上の桁として天井辺りに存在するからなのです。

Still1205_00000.jpg

 20年前の映像を解説なく眺めていると、似た様な形状の梁や桁が登場するが、画面の中にちょっとでもこの符号が書かれているのが見えさえすれば、部材を特定できるのである。この符号を発見してから、画面の中の行為の理解は格段に上昇した。どこの何をどうしているのかが、分かるようになったのである。同時に、画面の中で語る中村棟梁の言葉も断然分かるようになった。
 これで、モノが出来るまでは理解できる。さて、ここに写っているもので何が表現出来るか、その事である。・・・つづく。
をはら筆
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映像作品から
バナー旧太田家新作報告 バナー対論日本3

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