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青春キャンディーズ

2011/04/25 Mon 19:07

 青春、朱夏、白秋、玄冬。五行思想で使われる言葉。
 もともと四季を表していたと思いますが、人生になぞらえて使われたりもしま(日本だけかな)。その第一番は青春です。青年期を表す言葉となっていますが、青春とは、何歳くらいまでを言うんでしょうねー。
 1970年代後半を席巻した歌謡曲グループのキャンディーズは、まさに私の青春ど真ん中の人たちでした。丁度、私が民映研と出会う直前です。
 芸能人に現抜かすのは、江戸時代の役者絵辺りから記録して正式に残っていますが、中世の河原乞食なんて言われちゃった時代にだって、人気者はいたでしょう。貴族の御贔屓があったりして。その頃から連綿と人気者の歴史は続き、昭和歌謡へテレビと共に大変革をして来ます。江戸で芝居小屋へ足を運べる身分でなくても、人気者のファンになれる時代となった訳です。これは儲かると、興行師は暗躍し様々な役者、歌い手を作り出して来ました。販売するに相応しい商品として発達してきましたね。
 商品の頃は、勝手に自己主張するような事もなく、忙しくとも黙々と働くのが芸能人であり、それを支えるには、ハングリー精神が重要だったようですね。ところが最近は、商品はタレントと呼ばれ、商品価値が上がり価格が高騰するととたんに自己主張が多くなり、商品としての完成度が低いまま独立し、消えてしまう例が多くみられます。これはいいような悪いような、本質がどこかへ行ってしまった話ですね。
 ただの商品から脱出した中でも特に有名な人が、キャンディーズでした。「普通の女の子に戻りたい」との名言は、歌謡史に燦然と輝きます。役者絵を揃えて楽しんだ江戸の人々同様に、1980年直前の若者の心を捕まえました。小さな部分ではありますが、時代が動きました。タレントとファンの関係性で以後へ繋がる様々な事柄が起きていましたね。
 テレビやネットを観ていると、その事を強烈感じます。47歳から55歳位までのおじさんが、キャンディーズのメンバーの死を悼んでいるからです。亡くなったメンバーの告別が今日執り行われていました。55歳という年齢が死を美化しすぎるきらいはありますが、まだ彼らはファンだったんだって事は感じられます。丁度、震災でガタガタの日本を背負って立っている世代です。当然分別あるおじさんたちが、芸能人の死を悼んでいるのです。昭和30年代生まれで、戦後の匂いを辛うじて感じて育った世代です。
 何でしょうか?私を含め彼らが持っている感性は。
 私たち以上の世代が、進歩と調和で発展の道を歩いた成果とツケが現代には数多く残っています。象徴としての原子力発電所でしょうか。その後ろ姿を眺めつつ、キャンディーズのファンを密やかに自任しつつ、昭和を眺めて続けている世代なのかもしれません。自分たちはただ育っただけの昭和ですけれど、ノスタルジーだけではなく昭和の意味を感じていたり、これからの必要性を知っている世代なのかもしれないなーと思う。
 私よりも上の世代が作り続けた、民映研の作品群を未来に向けて活用出来る道を知っている世代なのかもしれないなー。それは、いままで、上の世代が作り上げてきた世界とは全然死がうモノかもしれない。
 ともあれ、私の青春は、時代の波に乗っていたんだなーと気付かされた日でした。
をはら筆
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