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埼玉の押し絵羽子板2

2011/04/16 Sat 12:12

フィルムに比較すると無限に撮れるが如くのビデオテープ取材では、ただただ単純に何でも撮ろうとしてしまうんですねー。これが最終的にはあまり良い結果を生まない。ワンカットへの思いが減るとでも言いましょうか、コストの心配も少なく取り敢えず撮ろうという考え。この「取り敢えず」がろくな物じゃないのです。
 何故撮るのか、どうしてここから撮るのか、今が一番いいのかなど、検討に値する事柄は上げれば、枚挙に暇がありません。しかし、世の中、事態、環境、時間は刻々と進み変化し続けていますから、検討するなら一瞬で回答を見つけなければならないのです。その能力が、フィルムキャメラの頃には確実に合ったのですが、ビデオテープに変化してどんどん、あっという間に退化しました。瞬間の判断力は、鍛錬していないと失うのです。ですから、ビデオ作品には、必要な事柄は確実に写っているのですが、写っているに過ぎないカットが多くなるのです。
 写ると撮るは随分と違います。写るは、最近やたらと数が増えた監視カメラの映像です。24時間稼働して記録されたビデオテープには様々なモノが写っています。ある場所に設置して、ある方向を撮影記録し、必要があれば写った映像の中から意味のある事柄を探す。
 対して撮るには、意思があります。撮る側の人間が明快にある場所へ出向き、ある方向を定め、ある瞬間を記録する意思です。ロケ場所へ行き、キャメラを準備し、ピントを合わせ、キャメラのシャッターを押す。この行為には偶然写る事を期待する部分がありません。結果として偶然が写る事はあるのですが。
 無限に近く撮れる環境になった途端に、この意思へのこだわりが稀薄なってしまったのです。
 それでも、長年フィルムキャメラを扱ってきたキャメラマンには、薄くなったとはいえ、撮る意思の全てを失った訳ではありませんけど。
 「埼玉の押し絵羽子板」には、フィルム故のコスト意識とワンカットへ意識が多いに感じられます。画面に滲み出てしまうんですねー。これが、なんか古くさく感じる要因の一つかもしれませんね。フィルムで撮っていたときの感性を大切に、ビデオを扱えばいい面もたくさん発揮されるかもしれませんね。
をはら筆













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