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日の目を見る6

2011/03/24 Thu 16:14

蘇り1
 2010年所長がひょんな事からひょんなものを拾って来た。
 20年前に火災罹災した日本民家園の旧太田家。復元作業の隊長・中村棟梁は張り切って仕事し無事に罹災する前の状態になり、20年の歳月がいい感じに作用して罹災した事など忘れて17世紀から川崎に建っていた様な佇まいでそこにあります。
 その復元作業を民映研は中村古建築と共同で、民家園の協力もあり映像記録してきました。しかし、記録したで時間は止まりました。映像制作の作業には大きく二つの行為に分ける事が出来ます。先ずその1は何か撮影対象を見つけて撮影するまで。その2は撮影された素材を編集し映像作品として観られる状態にするまで。今回の旧太田家は「その1」で作業が止まってしまいました。理由はただ一つ、経済的な問題です。そのまま、だんだんじわじわ人々の記憶から薄れて行き気が付けば20年の歳月。
 放射性物質にも半減期がそれぞれにあり、だんだんじわじわ放射線等は減って行きます。世の中、大概はそんなルールで動いています。いつまでもしつこく覚えていてもしょうがない事はたくさんありますしね。忘れては行けないと言われた事も、忘れてしまうので、人間は性懲りもなく戦争を続けてしまうのです。
 しかし、民映研には、その世間のルールが通じない人物がいます。所長の姫田です。記憶力がいい。執念深く様々な事を覚えている。その所長の記憶の片隅には、いつも途中で止まっている作品の事があるのです。いやいや、あるらしいのです。旧太田家の事もそうでした。
 で、ある時川崎市長と所長が出会いました。そこで所長はかくかくしかじかと旧太田家の差材が中に浮いている話を持ちかけたそうです。「ほー」と市長も呼応し映像制作の「その2」を実行する予算を捻出する約束をしてくれたそうです。自治体の扱う金額で考えればそれほどのものではありませんが、それなりの予算を必要とするのです。所長と市長が出会ってからしばらく時間がたち、あれあれ、またまた人々の記憶からそんな出来事も消え去ろうかと思う頃、突然具体的になった旧太田家の記録映像制作の話が川崎市からやってきました。
 「うあわー」そりゃーやりますよ。その1で止まったままなんて駄目ですから。でもアナログベーターカムで収録したテープが58本あります。この20年前の素材を誰が構成編集するのか。それが問題である。
撮影したのは、カメラマンの伊藤さん澤幡さん村松さん。演出は所長と青原さん。5人のスタッフがいます。まず撮影の村松さんは、当時は助っ人カメラマンとして民映研の作品に多く関わっていた方ですが、主要スタッフではないので×。青原さんはこのブログでも書いている通り、広島在住で「たけやね里」など自身の作品に取り組んでいるので×。伊藤さんは民映研をリタイアしているので×。澤幡さんは構成編集の仕事を基本的にやらないので×。所長は構成も編集も出来ますが最新機材に疎いので誰かがオペレートしなければならないので×。撮影に参加した5人のスタッフは現時点では全員×。おー、どうするのよ!現状で民映研で構成編集作業が出来るのは、先頃退所した今井さん、姫田蘭さん、をはらの3名。今井さんは仕事もあり×。蘭さんかをはらかと選択肢はどんどん狭くなる訳です。で、私が構成編集を担当する事になりました。
 民家園に展示されている旧太田家を見学した事もなく、20年前に撮影を行っていた事自体を知らない私ですが、撮影済みの素材を編集する事は出来るのです。ただし、今更素材を膨らますというアイデアはありえません。工事は20年前に終わっていますから、再撮もなし。あるものだけで勝負する訳ですね。
 ところで、抜群の記憶力でこの編集作業を生み出した所長ですが、なんでもかんでも記憶している訳ではありません。だってなんでも覚えていたら脳みそばーんですよ。まあ、早い話が自分に都合の悪い話は適当に忘れていますが。あーもちろん所長は否定する話ですが。・・・つづく
をはら筆
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