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映画「森聞き」

2011/03/21 Mon 23:48

 ポレポレ東中野でロードショウ中の、民映研に在籍していた柴田昌平監督作品「森聞き」を観て来ました。試写も観ているので、二度目の鑑賞です。
 「森聞き」不思議な言葉です。
 これは、「森の聞き書き甲子園」という林野庁・文部科学省・社団法人国土緑化推進機構・NPO法人共存の森ネットワークが行う、森と共に生きてきた伝統的な暮らしの中に、これからの持続可能な社会を考えるヒントがあるのではないかと、高校生たちに各地の山に生きる森の名人名手を訪ね聞き書きする運動の名前を略したものです。
 この共存の森ネットワークの事務局長(かな?)の吉野奈保子さんも民映研に柴田さんと同時期にいた人。吉野さんの熱い思いで続く聞き書き甲子園は今年で9年目。森聞きはこの活動から生まれた記録映画。
 今を生きるごく普通の高校生と森に生き続ける森の名人。この二つの生き方は、ある価値から眺めると恐ろしく乖離している。とても同時代ではない。映画・森聞きも森の聞き書き甲子園もそこが実に面白い。
 映画・森聞きではその両方を追いかける。異質な二つの世界をカメラを捉える。すると観客は混乱する。さて焦点どっちなんだと。かく言う私も試写で観たときの印象はまさに「混乱」でした。柴田さんに「どっちの世界ももっと観たくなるね」なんて言った記憶があります。
 でも今回再観したら印象が違いました。東日本震災のせいかも知れません。ニュースや情報にドラマが多すぎるのです。強烈に「ドラマ」にならされている自分がいたのかもしれないなと。ドラマの反意語は何でしょうか?なんであるか知りませんが映像の世界では、ドラマの対極にあるのがニュースです。ドキュメンタリー記録映画はニュースではなくて、作り手の感性が明快に反映された事実を基本概念としたもの。ニュースよりかはドラマに近い位置にある。ところが最近の一連の報道を観てドラマ化されている事を再認識したのかもしれません。
 で、森聞きを見ると「そこにカメラはいました」的ベタな記録映画として、胸を張って立っているような思い切りの良さを感じました。柴田監督の狙いかどうかは定かではありませんが。スルメのように観たあともよーく味わうと実は高校生と森の名人の生き方は乖離なんてしていないのじゃないかと思い至ったりします。
 森聞きに登場する森の名人は、民映研の作品にも登場してもおかしくない人ばかり。民映研の作品ならば、もっと丹念にと言うと聞こえはいいですが、しつこく追いかけ回して撮るでしょう。だってもっと観たくなる技の断片が森聞きには一杯出て来ますから。でもね、民映研の作品では絶対に出来ない不可能なシーンもあります。それは、現代高校生が質問者であるという事にヒントがあります。民映研ではとても聞けないような、ある意味ストレートな質問の嵐なんです。
 その事を象徴する質問があります。焼畑を延々と長年続けるおばあさんにたずねます。「なんで焼畑続けているんですか?」こんな質問、こんな直球を民映研は投げた事ないですね。所長姫田的変化球直球は何度か見聞きした事ありますけども。

4月1日まで東京・ポレポレ東中野でロードショウ。是非ご覧下さい。
をはら筆
 
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