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情報過多

2011/03/14 Mon 15:19

 地震。津波。
 そして原発事故。
 「未曾有」という単語は、今回の一連の出来事にこそ使われる単語なのかもしれません。
 歴史科学とでも呼べば良いのでしょうか、仙台辺りで西暦865年に三陸地震があり津波に襲われた記録があるそうだ。貞観地震と名付けられている。およそ千年二百年前の出来事。記録にはあっても語り継がれる事はなかったようだ。明治の津波(1896年)の記憶がある地域は、その恐怖が語り継がれ現代人も語りの通りに高台へ逃げた。しかし、貞観地震の教訓は歴史の隙間に埋もれてしまったようです。
 情報があって記録になる。その記録が生かせれば再び情報となる。
 2011年の情報は多様化した。過去を振り返れば、人の噂をまとめて瓦版が生まれ、ニュースペーパーへ進化し、ラジオ放送に即時性で劣り、ニュース映画で具体性に負け、即時性と具体性を持ったテレビ放送に情報は全てを委ねた時代が長かった。しかし、数年前、インターネットと呼ばれる地球全体で個人がつながれる仕組みが誕生した。その仕組みはいろいろと試行錯誤を重ね日々進歩と膨張を繰り返し育った。言語の壁も人種の壁も民族の壁も宗教の壁もいとも簡単に乗り越えた。
 一ヶ月前のチュニジア・ジャスミン革命からエジプトそしてリビアと偏りながらも安定していたかに見えた世界を壊し、今回日本では未曾有の災害の情報の担い手として最前線に堂々と立った。
 テレビまでの長い情報伝搬の時代は、誰かが精査した情報を流していた。それがどれほど偏っているか知る術もない時代もあった。日本にも「大本営発表」というとんでもない情報もがあったりもした。その誰かが複数になり比較出来たとしても、誰かが選んだ情報でしかなかった。阪神淡路の震災で長田地区が火災に見舞われ全壊したが、あの状況を伝える為に炎を捉えたカメラを、左右にぐるっと回せばそこには、地震にも耐え、火災からも逃れ平然とした街があった。しかし、テレビからの画面情報では、神戸中が燃え盛っている印象を持たされたりもした。
 SNSソーシャル・ネットワーク・サービスが発達し、フェイスブックやツィッターが情報発信源の核になりつつある。新しいメディアはその中身や使い方を世間が理解するのにいささか時間が掛かる。というか、世間がその使い方を模索する。模索した結果、日本では今回の災害で多いに活用されたのだと思う。
 この新しいメディア、特にツィッターには、団体も個人も自由に発言出来る。一回140文字という規則があるが、アルファベット文化と違い漢字文化では140文字は相当の情報量を持っている。そして、多くの個人が自由に発言をしている。自分好みの情報を選択する仕組みがあるのだが、それを知らない人に簡単に説明出来ない。全く新しい価値が動き出しているので、自らこちらに来なければ理解する為の切っ掛けが得られないのだ。これは、江戸時代写真術が輸入されたが、魂を取られると思った人には写真の魅力は教えられず、理解出来なかったのと同じ事だと思う。
 個人が自由に多様な発言する。個人の資質によるのだが、そこに具体的な責任はない。ですから、いわゆるガセネタやデマも混ざる。今までインターネットが発達し始め情報が過多になって来ると、その弊害が目立つようになっていた。情報を整理しなければいけないのではないかと。しかし、それはナンセンスだと思い至った。
 140文字の短い情報を数眺めていると、自然と事実が見え始めて来る。もちろんその人自身の思想や哲学に左右されるが、その人にとっての正義がそこにあるのだと思う。もっと言えば、多くの情報を読むためにこそ、教育が大切であり、基礎学力が必要で、教養こそが運命を定める。中学校までの教育、学力で十分。それを元に各々が精進した教養さえあればいい。少々左右にブレテも共通の中心がそこにはあるのではなかろうか。
 テレビ業界人が選択した情報では、もう満足出来ない。携帯電話で撮影された動画の方が遥かに真実。撮る側の目的に商業がなく素直なのがいい。
をはら筆
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