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日の目を見る2

2011/03/10 Thu 14:35

事の始まり2
 茅屋根の厚さは30センチ以上ありますね。表面に着火した火の粉は表面を焦がし広がったのでしょうか。表面を走ったように見えていた炎の一部は密やかに茅の内部へ侵入していました。消火されたと思ってから30分経ち内部へ侵入していた火の粉は再び表面に現れて大暴れしたのです。
 茅屋根で暮らしていた頃は火事はなかったのでしょうか?耐火建築ではありませんから火にはかなり気を使って暮らしていたのでしょうか。火が危険と言っても茅屋根を長持ちさせるのに火は欠かせません。囲炉裏での煮炊きや暖房で湿気た茅を乾燥させたり、煙で燻しで虫が寄らないようにもされていました。囲炉裏で薪を焚けば火の粉も飛び散ります。囲炉裏の周辺には畳があり障子がありと可燃物だけで構成された空間ではありませんか。緊張と隣合わせで暮らしていたのかと思いますが、身に付いた火の扱いですから、そこは何気ない日常だったのでしょうね。
 しかし、火事が起きない訳ではありません。もしも茅屋根に火が入った時にはどうしたのか。延焼の範囲によらず茅を全てほぐしたようです。茅をほぐして落としてしまえば、柱や梁にはそう簡単には火がつきません。床に落とした茅の火の粉を消すのも簡単な作業です。茅をほぐされた家屋は柱や梁の構造物となります。でも、この基礎構造が残っていれば茅さえ拭けば再び家が再生されるのです。全焼して柱から新しく新築するのとでは、コストパフォーマンスが全然違います。凄い暮らしの知恵だと思います。
 残念ながら文化財指定を受けた建物は、半分が全焼しました。
 半分と言うのは、この建物が二棟を連結した構造に由来した表現です。南西諸島などに多い「分棟型」と呼ばれる建築様式です。ザシキやヘヤやヒロマで構成させる建物とドマやウマヤで構成される建物が軒を寄せ合って立てられているのです。二棟が寄り添う部分に壁はありません。屋根の雨水が落ちて来ないように雨樋が部屋の中にあります。
 この分棟型建築が北関東に残っていた事がめずらしく、文化財に指定されたようです。
 今回全焼したのは、主屋と呼ばれるザシキ、ヘヤがある方です。土間棟と呼ばれるドマやウマヤのある方にまで延焼する前に消防が消火したのです。消防の表現では全焼です。しかし、表面は黒くなっても材としての強度を保った柱や梁もありました。なんと言っても17世紀から存在する材なのですから。この材を生かす方法はないか、専門家が知恵を絞りました。・・・つづく。
をはら筆
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