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ゆったりとした雰囲気のなかで笑い、語らい、気付けばあたりは夕暮れ時です

2009年10月後半のアチック・フォーラムは、2作品の上映。

映画作品No.64『まちゃん─与論島』は、奄美群島の南端、
沖縄本島の目の前にある与論島周辺の珊瑚礁で行われる
待ち網漁の姿を記録した作品。

映画作品No.95『寝屋子─海から生まれた家族─』は、
伊勢湾口に浮かぶ三重県答志島に受け継がれている
若者宿「寝屋子」での子どもたちと寝屋親たちの生活、
海の仕事、その一生を通じた絆を映し出した作品。

夕方からは雨でしたが、常連のみなさまに加えて、この日はじめて
民映研作品をご覧になる染織家の方が来所され、上映会が始まりました。
上映後の座談では、初訪問の方に感想をお伺いします。
与論島の待ち網漁に使われる手づくりの道具の美しさや
その使い方の巧みさに驚かれたとの感想に、その場にいた
みなさんも口々に賛同の言葉を口にされていました。



一方、話はいつも飛躍しますので、青年と所長・姫田忠義の間で
映像論・メディア論・表現論のようなものにまで話が及んだりしました。
個人的に印象的だったヒメダのコトバを少しご紹介します。

「ただね、ある年代である方向に自分の心が向いているときにはね、
 本当にね、まったく歳をとった人間からすると
 『なに、観念的なことを言ってんねん』とか、
 『なに、抽象論を言ってんねん』と、こういう風になるんですよ。
 なるんだけどね、『己(おのれ)は?』つったらね、己もそうだと。
           (中略)
 だけどね、それをこなしていく、それが肉体化していく。
 それこそ肉体化していくの。
 それはそして、その今の己が比較対象物になっていくの。
 次の己はね、今とは違うものになるに決まってんの。
 絶対に同じ状態でありえない。
 それは、僕、あんね、これは年寄りの言うことを信じなさい。
 これは事実だと思う。決してね、一定の状態で推移するっ
 ていうか、それはありえない。生命体っていうのはありえない。
 だから死にもするんだよ。育ちもするし死にもするんです」

「僕はとってもね、生身ということをとても大事に思っているんです。
 そのくせ映像屋だ映像監督だ、あるいは民俗学のなんとかだという
 ようなことを言っているというのは、それはあくまでも属性というか
 ひとつの方法であってね。一番大事にしているのはなあに?って
 言ったら、人に出会いまして『いやぁ、お元気ですか』と言っている、
 その生身の在り方が僕にとっては一番大事です」


10代,20代の若者たち、30代前後の青年らは、民映研の映像と
姫田の言葉を、とても敏感に受け止めているなと思えます。
そして時に率直に、時に控えめに自らの思いや疑問を投げかけます。

またそれを見守るように自身の経験を交えながら、それとなく
叱咤激励や助言をくださる、その上の世代の方々の姿があります。

先の山村会議や過去の上映会でも感じたことですが、そういう
やりとりのなかで姫田の表情がより生き生きとしてくるようです。
ここに子どもが加わると、また一段とやわらかな空気になります。



さて、それから、もうひとつの作品『寝屋子』。
血縁とは違った家族(親・兄弟)との共同生活は、大所帯だからといって
大きな家にそれぞれの部屋を持って住まうのではありません。

一軒の家で思春期や青年期を仲間と共に過ごし、そのうちの誰かが
結婚して解散するまで、生活に必要なあらゆる知識や経験を得ます。
寝屋子という組織のサイクルは約10年単位で起こり、循環しつづけ、
その場で育まれた繋がりや助け合いが成人後も一生涯を通じてつづき、
島の人々の集団生活を成り立たせているのです。
と同時に、家族単位での生活が可能な条件を兼ね備えた土地柄、
地勢ということも考えられます。

これに似た家・家族の増え方として、新潟県越後奥三面の分家の方法と
その権利についての話も出ましたが、ずいぶんと長くなりましたので
つづきはぜひ民映研で!

次回のアチック・フォーラムは、2009年11月14日(土)に開催。
『秩父の通過儀礼その1 ―安産祈願から帯解きまで』、
『秩父の通過儀礼その2 ―子どもザサラから水祝儀まで』、
埼玉県秩父地方の通過儀礼を記録した全5作品中2作品を上映いたします。

(白石千洋)
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アチック・フォーラムから
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