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鋳金

2011/08/27 Sat 11:16

平成22年度 工芸技術記録映画「鋳金 大澤光民のわざ」(グループ現代製作)の試写を観て来た。
鋳金とは鋳物を造る事。鋳物とは鉄等を溶解して型に流し込み成形する技。
関東で鋳物が有名な所は川口。吉永小百合の「キューポラのある街」の舞台。キューポラとは鉄をコークスで溶解する炉の事。和名は「甑」です。
映画「鋳金」の舞台は富山県高岡。古く鋳金が盛んな場所だそうです。職人大澤光民さんが実に複雑な工程の鋳物の花瓶を造る様子が記録されている。
民映研にも鉄関係の作品はいくつかありますが、鋳物と言えば作品No44「川口の鋳物師」でしょうかね。
川口の鋳物は砂型という砂を固めて型を作る方式です。メス型自体は砂なので一回毎に壊れてしまいますが、容易に型を作る事が出来るので量産に向いているようです。
映画「鋳金」では、焼型鋳造法での作業が記録されていました。これは型を高温で焼いた粘土で作ります。ですから砂型のような作業効率にはならず、一品物向きで、尚且つ高度な表現に向いた技法のようです。
鋳金は外型(メス)と中子(一回り小さなオス型)との隙間に溶かした鉄を流し込み成形します。とても私の文章力ではこれ以上表現出来ませんが、実に繊細な作業なんです。その上今回の鋳金作品はステンレスと鋼線での柄を入れるために二回鋳金を行う複雑な作業工程でした。
ものすごく面白い作業なんですが、とっても複雑で鋳物の基礎知識がないとそう簡単には理解出来ない。鋳物についてはかなり理解がある私でさえ、その作業を理解するには、かなり頭が混乱しました。

文化庁の企画の仕事で、この映画は35ミリフィルムで撮影しなければならないという決まりがあるそうです。
現在主流のハイビジョンカメラに比べると、数倍の大きさと重量のあるカメラを使用します。35ミリフィルムで撮影するとハイビジョンカメラの映像よりも遥かに艶のある奥行きのある映像を撮る事が出来るのです。その差は歴然です。具体的な理由はまた別の機会に譲ります。
しかし、艶やかな映像を手に入れると同時に失うものもあります。
それは機動力。手軽に扱える大きさではなく。撮影設計をしっかりと立てて計画的に作業しなければなりません。つまりイレギュラーには弱い。事前取材では理解出来ずにいた事が、実際の作業を前にすると様々な気付きが生まれ、それを突発的に撮影するのもドキュメンタリーの醍醐味です。それが簡単には行えないのが35ミリカメラ。
時間との競争で作業が進む場面では、撮影のために作業を止める事は出来ません。撮影対象の作業と息を合わせて動かなければなりません。しかも、最もその作業が理解し易いカメラポジションを選択しなければなりません。それが簡単には行えないのが35ミリカメラ。

民映研の作品はと言えば、民俗学的視点に立っているのですが技術伝承マニュアルかと思う程に「作業」をしつこく撮影しています。上か下から中身まで、執拗に覗き込みます。より大きく写そうとクローズアップも多様される傾向にあります。伊藤碩男キャメラマン直伝の世界観でしょうか。
それを思うと「鋳金」の突っ込みはちょっと物足りない。それこそが35ミリカメラの短所なんだと感じました。

「鋳金」のキャメラマンは民映研作品も良く取っている堀田泰寛氏。民映研作品No35「金沢の羽山ごもり」作品No50「越後奥三面」などのキャメラです。奥三面の撮影現場で「姫田さん、まず空気を撮りましょう」と言った名言が民映研の歴史に刻まれています。奥三面本編にも、その空気が写った場面が入っています。
今回の「鋳金」にも空気は写っていました。圧倒的な技術力です。後輩キャメラマンとして感服しました。
撮影設計がしっかりと作られていて照明も良かったです。でも、もうちょっとクローズアップで見つめてもらいたかったかな。
「鋳金」の監督は、民映研設立メンバーであり現事務局長の小泉修吉。小泉さんは経営手腕もあり、プロデュース能力が高く様々な作品を手がけていますが、本人も映像表現者なんです。民映研ではプロデュースに徹していますが、監督作品が数多くあります。
「鋳金」の製作を行った鈴木正義さんは古く民映研作品に関わって来た人。
「鋳金」の語りは、民映研作品ではお馴染みの糸博さんが担当。安定感がありながら、場面を牽引して行く語りが出来る職人です。
「鋳金」の脚本は、元民映研所員の今井友樹。今井さんは小泉さんから「鋳金」の企画書執筆のチャンスを与えられ見事に企画を通した強者。まだまだ、へなちょこな若者ですが、前途有望多難。楽しみな人物。

をはら筆
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民映研の日常
前任の事務局Cです。

厳しい暑さが続いていますが、暦の上では秋。
みなさま、いかがお過ごしでしょうか。
残暑お見舞い申し上げます。

民映研も8月は夏休みということで、
例年通り定期上映アチック・フォーラムを
おやすみさせていただいております。

が、久しぶりに福岡で民映研作品の上映があります。
また、所長・姫田は日本映画大学で講義を行います。

さて、冒頭に「前任」と書きましたが、
私6月をもって事務局を退職いたしました。
諸般の事情により急な決定となりました。
ご報告が遅れましたこと、ご迷惑おかけしたこと、
この場を借りてお詫び申し上げます。

民映研作品に初めて出会って3年、
会社員生活の傍ら勝手に押しかけて半常駐で
メルマガ発行やブログ更新させていただいて2年、
所員として事務局に就き1年、大変お世話になりました。
今後も民映研の同人(?)として参加させていただけたら
と思っております。

そして、急なバトンタッチにも関わらず、
どーんと事務局の仕事を引き受けてくださったのが
新任の事務局、中川美帆さんです。

一筋縄ではいかないのが、民映研事務局!
でも明るく楽しく、お仕事してくださっています。

民映研事務局ってどんな仕事かというと…
事務局長・小泉さん&民映研役員のもと

●日々の金銭管理や記帳・起票、月末のお支払い、
年末調整に期末の決算処理といった経理事務。

●事務所の備品管理や契約書管理、電話や接客対応、
役員招集や議題提案、登記、福利厚生といった総務事務。

●上映会ではセッティングから、資料の作成や発送手配、
遠方の場合には宿泊交通手配と予算管理、広報、当日の記録。

●映像・図書販売物(一部の作品はDVD化されていて
今はこちらがメインですが、じつはフィルムならば、
ほぼ全作品の対応が可能…!)の問い合わせ対応や発送。

●その他、映像や図書資料・図版や写真資料の使用許可や
貸出などへの対応。もちろんメールや郵便物の整理も担当。

さらに、ヤル気次第でアチックの上映作品候補を考えたり、
民映研通信の構成や原稿を提案して姫田さんや編集・岩井さんと
打ち合わせをしたり、書き起こしをしてみたり、発送事務があったり、
メルマガについでTwitterを始めてみたり、webの更新を依頼したり、
制作があればサポートにまわりつつ、進行管理をしたり…。

これを一人でこなすわけですが、どの仕事も深めればどこまでも深められ、
また挑戦したいことがあれば、どこまでも拡がりのある仕事といえます。

なんといっても一番の財産は、人との出会いの窓口にいるということ。
素敵な方やOBが来所されれば、「あー、お話を聞きたい!」と思いつつ、
ICレコーダーにまかせて事務室でパソコンと睨めっこ、という日もママあります。
民映研の「今」をもっともよく知っているのは事務局!!
と言っても過言ではありません。たぶん。
(辞めた今だからこんなことが言えるのですけど…)

そんな民映研の「今」をお届けする、民映研のTwitter公式アカウントはこちら
(Twitter風に言えば、なう!…でしょうか)

もう少し落ち着いたら、メルマガやTwitterでも
事務局・美帆さんの声が届くようになると思います。
民映研をよろしくお願いいたします。

さて、ところで小原さんが書かれた前回の記事、面白いですね。

西と東の町の成り立ちについての考察ですが、
これと小原さんが関係したつい最近の作品から
思い浮かぶことがありませんか?

そう、9月30日に川崎で上映会を予定している
「旧太田家住宅」の記録です。

この復旧修理工事の過程で、建築構造を
「ろ通り」などの通り名で呼ぶ場面や図が、
繰り返し登場します。

この通り名は、宮大工の技術と知恵であり、
その発生に深く関わりがあります。

宮大工という技術集団はどこからきたのかしら?
わたしたちの祖先とはどんな関わりがあるのかしら?
なんて思い巡らせながら観ると、一層興味深いのです。

そういえば、小原さんに以前「宮大工の技術は
もともとそれだけの職能ってわけじゃなくて、
ごく普通の庶民たち、町の棟梁たちだってよーく
知っていて、立派な家を建ててきたんだよ(お前は、
そんなことも知らないのか。しょうがねえな~)」
というようなことを言われた記憶も…。

長くなりましたが、みなさんよい日をお過ごしください。
鶴川の家々には盂蘭盆会の送り火のあとが、点々と残っています。

(文/前事務局・同人C)
民映研の日常

町割り

2011/08/08 Mon 12:05

関東人には理解しにくい仕組みに、京都の住所表記がある。「四条河原町上る」とか表現されている。関東人には何となく風情を感じて平安から続く町は何か違うんだなと思ったりする。
しかし、住所を頼りに目的地を探そうと思うと、なかなか思うようには行かない。
東京なら、例えば港区というある範囲。南青山と云うもっと小さな範囲。丁目と呼ぶもっと分かれた範囲。そして番地がある。その番地の中に号番号が付く数軒から数十軒の家屋が建っている。番と号は大概右回りで指定されていて、ある号から右隣は数字が増え、左隣へ進むと数字が減る。丁目は東京の中心皇居に近い方が一丁目。そこから順に離れながら数字が増えていく。
つまり、東京の番地指定は「面」で構成されているのです。「田」の字の外周が町名。四つの四角が丁目。この丁目の中にまた田がある。今度の田は外周が丁目。四つの四角が番地。その番地の中に号に分かれた家屋が配置されているのです。
ですから、お祭りなど町内で神輿を出したり、山車を出したりするときにはひとつの四角にひとつの神輿となります。
つまり、我が家を出て道路を挟んだお向かいさんは別の町内で、別の神輿を担ぐのです。場合によってはライバルであります。

ところが、京都や奈良などの平安ながらの地割りの地域はルールがまったく違うのです。
ですから、東男にはまったく分からないのでありました。

京都の町家式町割りの基本は面ではなく筋である事。筋つまり道路です。
ご存知のように町家はうなぎの寝床状態で間口よりも奥が異様に深い。道路の面した部分の長さで課税されたので、正面を狭く、奥に長ーい建物になったとか。
その筋に面した両側が同じ町内。通りから通りへの道路に面した家屋は同じ町名です。ですから、河原町の右側左側何番と表現されるのです。
しかし、右左だとどちらから眺めた時の右なのか左なのか分からないので、東西南北碁盤の目に都市計画された京都では北を上る南を下ると表現したのです。

そんなこたー知ってるよって輩がこのブログを見る方々には多いでしょうが、私はこの夏、奈良のならまち取材で始めて理解しました。掛け軸に仕立てられた古い町割り絵図を眺めれば、その構造は一目瞭然。
町内の様々な催し、地蔵盆だとか庚申講などすべては向かい合った家が参加して行われます。

うなぎの寝床の町家は表は道路に面して整備されていますが、裏は長さがそれぞれなのでがちゃがちゃです。裏同士が隣接してもそこは隣の町内会なのです。裏の事なんか知ったこっちゃねー。
ですから絵図で俯瞰したみると、決して整理整頓された面にはなっていないのです。

地面と言えば面だとばかり思い込んでいたので、筋の構造は容易に理解出来ない頭の固さが災いしました。

をはら筆

民映研の日常
DSCF0324.jpg

(姫田蘭)

昨日1日、ポレポレ東中野にてドキュメンタリー「かすかな光へ」を観てきました。
(映画の日ということを知らなかった。結局1000円で観てしまった!)
僕が映画館に足を運ぶことは滅多にないのですが、これは観ておこうと思い出かけたのでした。
森康行監督によるこの作品は、御年93歳になられる教育者・大田堯さんを追った記録。
この作品が出来るまで僕は大田堯さんを存じ上げませんでしたが、いやはや凄い方がいらっしゃるなと感心。
自分の世界が狭いことを思い知らされます。

大田堯さんは東大を経て、都留文科大学などを歴任。教育史、教育哲学などの研究を、
現在も活発になされています。
映像では復員後の“民衆の学校”づくり、家永教科書裁判などと戦後日本を生き抜いた氏の活動を紹介。
興味深かったのは故郷での「青年学級」の活動。全編通して僕はこのシーケンスの話が一番惹かれました。
御年93歳の大田さん。わが父・姫田よりも10歳も年長であられます。しかし何百倍もお元気!
早朝、ご自宅周辺であろう路上を掃く姿をみて、僕はわが父を想い目頭が熱くなってしまいました。
この作品については、是非HPのほうでチェックしてみてください。
「かすかな光へ」公式HP




さて、なぜこの作品を知るようになったかというと、
「かすかな光へ」への音楽は林光さんが担当されているからです。
現在僕は実にコツコツと林光さんを追っかけ、映像を撮影しております。
林光さんと言えば日本を代表する作曲家。オーケストラや合唱曲以外にも、殊に映画音楽では非常に有名。
「今度ドキュメンタリー映画のために録音するから」との情報を得て、先日録音スタジオへ出かけました。
何度も書いておりますが、民映研では作品4「うつわ ~食器の文化」という作品で音楽をつけて頂いたこともあります。
「うつわ」は1975年の作品ですから、36年前になります。 『過去の記事」はこちら

_1125741.jpg 
録音スタジオにて。録音をチェックする光さん。後ろに見えるのが監督の森康行さん。
とにかく多忙な光さん。この録音日周辺は、作曲と演奏本番をいくつも抱えていて、
正直僕も「え~、いつスコア書き上げたのですか!?」と驚いたくらいハードスケジュールの中での録音。

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広い録音スタジオで、指揮をして音楽を録音。そしてコントロール室に走って戻って録音をチェックする・・・
とても80歳とは思えない運動量でした。
「うつわ」の録音のとき、僕は小学生。なので記憶は遠い昔・・・
しかしこの「かすかな光へ」の録音を拝見させていただいて、「うぁ こうやって何十年も音楽活動続けてらしたのか!」と感動。
このデジタル時代にきわめてアナログな録音風景ですが、これぞまさしく本物の音楽の世界だ!と思わされました。
ストップウォッチを片手に持ち、指揮を振る光さん。「う~ん、ちょっと長いな・・・」と秒数を見て頷いたと思ったら、
「こことここをカット!」と指示して、思うタイムにあっという間に縮めてしまいました。

_1125762.jpg

休憩時間にビデオカメラを止めて、ちょっと記念撮影をさせてもらいました。
この日、僕がスタジオに着いたとき、光さんが「今日はAチームだから、しっかり撮ってよね」と言いました。
この写真が光さんのAチーム。すなわち録音最強軍団の演奏家たち。
左から寺島陸也、山田百子、(林光)、荒川洋、鈴木大介。




「かすかな光へ」の中で、戦後の「綴り方教育」が出てきました。
このことも僕には非常にヒットしてしまいました。
というのも、先週23日に山形県東根市に出かけ、そこで「綴り方教育」の素晴らしさに教えられたばかりだったからです。

DSCF0222b.jpg
7月23日 山形県東根市にて、「国分一太郎生誕百年祭」。

こちらも林光追っかけプロジェクトの撮影。 教育者・児童文学者の国分一太郎さんの生誕百年を記念してのコンサート。
光さんはピアノと指揮を。
音楽の演奏の他に、国分さんを紹介するビデオ上映もありました。
会場ロビーには、国分さんの記録した「綴り方」なども展示されていて、僕は非常に興味を持ったのでした。

DSCF0218.jpg

大田堯さん、そしてこの国分一太郎さんという教育者を知る機会を得たことは、奇遇ではないのかもしれませんね。
全く僕が与り知らなかった世界が近づいて来た?のかな・・・などなど、自分では不思議に思えるご縁を感じつついます。



確かにここのところ多忙なのですが、ちゃんと民映研のお仕事もこなしております。
近年或る人が「民映研はマンパワー不足」と言い放し、悔しさに涙するときもありました。
でも、なんとかこの少ない人数で、姫田忠義はじめ、コツコツと頑張っております。
このひと月ばかりは激動の民映研でして、僕も心底クタクタになっておるのですが・・・
3、4日前にはとうとう胃が痛みだし、腰痛が出て…と倒れそう~と言いたいですが、
書いたように、93歳の大田堯さん、82歳の姫田、そして80歳の林光さんの働きを見ていると、
「くたびれたなどといってられんわ」とつぶやいてしまいます。

DSCF0314.jpg
一昨日7月31日。京都にて・・・

上の写真は一昨日のもの。
腰にコルセットして、京都まで日帰り往復。機材があるので当然車で。
さすがに疲れましたが、写真のように大勢の人たちの歌声に痺れ、感動。

毎年行われる「音楽教育の会」の全国大会に出かけてきました。
小中学校や幼稚園、保育園などの先生方の集い。
この日は1007名の参加者だと発表がありました。 ものすごい熱気でした。

DSCF0302.jpg

ここでも光さんはピアノを弾きます。 そこに1000人の人たちが歌いだします。
光さんは「おお、来たね!」と声をかけてくれます。
この日もご老人からパワーを頂く僕。
それで片道500キロの疲れは飛んでしまいます。

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