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上映会計画

2011/04/29 Fri 11:52

 実を言うと、民映研作品はかなり死蔵されている感がある。
 つまり、なかなか日の目を見ない。
 昭和40年代に完成させた映像作品である。ノスタルジーの域の作品との見方も出来る。

 映像が持つ基礎なる効能は二つと考える。
 一つは、プレゼンテーションの力。故にCMは発達している。
 プレゼンテーションとは、水先案内である。 ある事を知らない人に説明し興味を持たせる事が仕事。様々なコミュニケーション法の中でも際立って、うまく水先案内が出来るツールが「映像」。
 もう一つは、今を伝える能力。 決してテレビ中継のようなリアルタイムの即時性を言うのではないが、時代が持つ空気感を今伝える事に適したツール。

 民映研作品も、その制作年代そのものに必要とされた作品群。30年後50年後に観る事を想定した作品じゃない。でも、月日が経っても鑑賞に値する内容が写っている事も事実です。
 50年後に観ようなんてタイムカプセル的作品は、たぶん詰まらない。その時代に必要とされた物が撮影されていなければ、後年評価されるチャンスも与えられない作品になっちゃうだろーなー。

 でもね、映像は観なければ意味がない。
 国宝に指定される仏像は、今でも働いている。人はその前に行って手を合わせる。それぞれの拠り所の一つとして機能している。500年前に作られた、ただの人型の物体ではないのだ。お寺さんの木造建築も現代でまだ働いている。ちゃんと雨風から守る基本はぶれていない。
 民映研の映像群は、数百とあるがなかなか観れない。資本主義のルールの中では、見せる事で経済が回らないとそれは出来ないとなる。で、民映研では、アチックフォーラムなど以外での公開の場が少ない。へたに動くと赤字になる。
 しかし、そんなー事を宣っていては、物事先へ進まない。先ずは、民映研なんて知らない。昭和の記録映画なんて知らない、興味ないって人、つまり、平成生まれの諸氏に観てもらえる環境を用意してみようと考えた。
 原宿にあるミニシアターで公開してみる。
 レイトショーで公開してみる。
 インターネットを活用する。
 とにかく、いままで、民映研が出会った事のない人にあってみたい。

 って計画が密やかに確実に着々と進行している事だけを今日はお伝え致します。
 たぶんね、このブログを読んで下さっている皆様じゃない人類と出会いたいと思っています。計画実行の折には、是非昭和の記録映画なんて興味ないって方々を大いに動員して頂きたく、お願い申し上げまする。 をはらのぶゆき
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民映研の日常

きもの

2011/04/27 Wed 23:31

 日本の民族衣装と言えば着物。まあ日本には色々な人々がいるので、これっと決めつける事は出来ませんがね。
 着物は洋服のように立体裁断されていないので、ぺたっと平にたためるのが魅力的に感じます。平面構造の布で多彩な局面で構成された人体を包むのですから、地球レベルではかなり変わった衣装ですね。しかし、短足ずん胴な民族にはなかなかどうして優れたインダストリアル・デザインだなーとも感じます。
 着物は結構暖かい衣装です。真冬も以外といけます。というか、夏向きの衣装ではありません。浴衣もかなりうっとうしい暑苦しい衣装です。
 民映研では、ナレーションを担当している糸博さんが着物愛好家です。仕事以外ではよくお召しになられているようで、民映研に着物で遊びに来る事もありました。健康をがいしてお酒をやめてしまいましたが、糸さんはお酒好きとしても、民映研で一二を争います。午前中にスタジオの録音が終わってしまって、そのまま民映研に来て、一升瓶の日本酒を飲んでいたりしました。日中ですので、皆仕事しているのでなかなかつき合えないのですが、それでも何度か昼間からつき合って、酔っぱらった記憶が数回あります。
 民映研で着物というと、所長姫田の衝動買い事件が有名です。福島県昭和村でカラムシの撮影中にカラムシで織られた布で作られた「上下」を突発的に購入したそうです。私はその場にいなかったので詳しくありませんが、所長に聞いてみて下さい。「上下」はかみしもです。遠山の金さんがお白州で片肌を見せるときに脱ぐ、三角の奴ですね。さすがに上下までは欲しいと思いませんが、私も着物ワールドに入門しています。最近ですけど。
 アジア民族衣装が好きで良く着ているのですが、やはし、日本人は着物だろーって事で、着物ワールドへ入門したのですが、一から七ぐらいまでは揃えないと始まりません。取り敢えず「帯」だけとかありませんから。これを新品で買うとやはり30万円以上の初期投資が必要になっちゃいますね。で、私の場合は知り合いから「長着」「羽織」「帯」「長襦袢」を貰ったのでラッキー。足袋を買い、羽織の紐を自作しました。着付けは昔何度か着た事があったので、雑誌購入して自ら習いました。下腹がたっぷりあるので、詰め物はなし!
 で、近々結婚式にご招待頂いているので着物で参上しようと計画したのですが、さすがに長着に羽織では行けないので、正絹の黒羽織と袴をGETしました。まあ友人ならこれでいいでしょう。問題は花婿よりもかっこうよくならないことですねー。気をつけなくっちゃ。
をはら筆
映像作品から

日の目を見る10

2011/04/26 Tue 14:30

 柱の上に上がった時には明らかに斜めに位置する梁も、地上で作業用のウマに乗せられて横向きに置かれると、ゆっくりとしたカーブには目がいかずに直線的に見えてしまう。その直線が水平と勘違いしてしまうと、本当に水平を割り出すため張ったミズイトが、斜めに張られたように感じてしまうのです、Still0419_00013.jpg

上の写真で中村棟梁がメジャーを当てて腕を延ばしている方向がミズイトを張る方向。つまり地面と平行の水平な線です。水平と梁の置かれる角度とは違うのです。(棟梁が立っている方向が床)(左側に置かれた黒い物体が、焼け焦げて小さくなったオリジナルの梁)

Still1205_00000.jpg

 中村棟梁がミズイト張りをしている梁は、上図では、手前の角から右方向へ三本目の左となりの柱と、手前の柱の隣の柱に乗るモノです。上図の奥半分の材はかなり再利用しますが、手前部分は再現材と入れ替えます。これらの梁や桁のミズをひとつひとつ探り決定しながら作業は進みます。
 撮影順に試写をしますから、時間軸が前後する事はないのですが、非常に良く似た形状の梁や桁なので、同時に進行している作業を撮影してあると、何がなんだか分からなくなって来ます。Aだと思っていた材がBだったりCだったりするのです。
 画面をじっくり眺め、報告書を読み込んで、ある符号を発見しました。これを理解すると部材の特定がとても簡単になるのです。その符号とは・・・つづく。
をはら筆
 

映像作品から

青春キャンディーズ

2011/04/25 Mon 19:07

 青春、朱夏、白秋、玄冬。五行思想で使われる言葉。
 もともと四季を表していたと思いますが、人生になぞらえて使われたりもしま(日本だけかな)。その第一番は青春です。青年期を表す言葉となっていますが、青春とは、何歳くらいまでを言うんでしょうねー。
 1970年代後半を席巻した歌謡曲グループのキャンディーズは、まさに私の青春ど真ん中の人たちでした。丁度、私が民映研と出会う直前です。
 芸能人に現抜かすのは、江戸時代の役者絵辺りから記録して正式に残っていますが、中世の河原乞食なんて言われちゃった時代にだって、人気者はいたでしょう。貴族の御贔屓があったりして。その頃から連綿と人気者の歴史は続き、昭和歌謡へテレビと共に大変革をして来ます。江戸で芝居小屋へ足を運べる身分でなくても、人気者のファンになれる時代となった訳です。これは儲かると、興行師は暗躍し様々な役者、歌い手を作り出して来ました。販売するに相応しい商品として発達してきましたね。
 商品の頃は、勝手に自己主張するような事もなく、忙しくとも黙々と働くのが芸能人であり、それを支えるには、ハングリー精神が重要だったようですね。ところが最近は、商品はタレントと呼ばれ、商品価値が上がり価格が高騰するととたんに自己主張が多くなり、商品としての完成度が低いまま独立し、消えてしまう例が多くみられます。これはいいような悪いような、本質がどこかへ行ってしまった話ですね。
 ただの商品から脱出した中でも特に有名な人が、キャンディーズでした。「普通の女の子に戻りたい」との名言は、歌謡史に燦然と輝きます。役者絵を揃えて楽しんだ江戸の人々同様に、1980年直前の若者の心を捕まえました。小さな部分ではありますが、時代が動きました。タレントとファンの関係性で以後へ繋がる様々な事柄が起きていましたね。
 テレビやネットを観ていると、その事を強烈感じます。47歳から55歳位までのおじさんが、キャンディーズのメンバーの死を悼んでいるからです。亡くなったメンバーの告別が今日執り行われていました。55歳という年齢が死を美化しすぎるきらいはありますが、まだ彼らはファンだったんだって事は感じられます。丁度、震災でガタガタの日本を背負って立っている世代です。当然分別あるおじさんたちが、芸能人の死を悼んでいるのです。昭和30年代生まれで、戦後の匂いを辛うじて感じて育った世代です。
 何でしょうか?私を含め彼らが持っている感性は。
 私たち以上の世代が、進歩と調和で発展の道を歩いた成果とツケが現代には数多く残っています。象徴としての原子力発電所でしょうか。その後ろ姿を眺めつつ、キャンディーズのファンを密やかに自任しつつ、昭和を眺めて続けている世代なのかもしれません。自分たちはただ育っただけの昭和ですけれど、ノスタルジーだけではなく昭和の意味を感じていたり、これからの必要性を知っている世代なのかもしれないなーと思う。
 私よりも上の世代が作り続けた、民映研の作品群を未来に向けて活用出来る道を知っている世代なのかもしれないなー。それは、いままで、上の世代が作り上げてきた世界とは全然死がうモノかもしれない。
 ともあれ、私の青春は、時代の波に乗っていたんだなーと気付かされた日でした。
をはら筆
民映研の日常

新メディア

2011/04/24 Sun 05:43

 本日、鶴川でアチックフォーラムが開催されていました。上映作品は「信州木曽あげまつ サワラの木工芸」でした。
 で、そのアチックフォーラムをユーストリーム(Ust)と呼ばれる、インターネットでの動画共有サービスを利用して配信しました。この技術で、日本中からアチックフォーラムに参加が可能になるのです。
 映像記録作業と言うのは、紙と鉛筆での記録作業とは違い、時代の先進的テクノロジーを必要とする作業なんです。民映研をご存知の方は、十年一日の如く変化しない団体だと思われている方もいるかもしれませんが、民映研の技術を統括していたキャメラマンの伊藤碩男さんは、新しい物好きであり、所有欲も十分にあって、民映研には新しい機材が色々と導入されていました。民映研はリタイアされた伊藤キャメラマンですが、今でも新しい物好きは変わっていません。先日、民映研に来たときも、最新の小型のキャメラを持っていました。
 その血統は現在どうなっているかというと、なぜか姫田蘭さんに転移しています。
 その蘭さんが主導で、今回新しい取り組みを行いました。今回は実験①という感じですが、近い将来、Ustとツィッターやフェイスブックを連動して、全国を対象にネットアチックフォーラムを開催するかもしれませんね。
 Ustの利用方法は他にも様々思案中ですので、お楽しみに。それまでに、みなさんもUstを観れる環境を整えて下さいませ。なーに、それほど難しいものではありません。年齢にも関係ありません。このブログを読める方ならば、ちょっとの努力で環境は整いますから。
 新時代の民映研を共に楽しめますよーに!
をはら筆
>>続きを読む・・・
民映研からのお知らせ

日の目を見る9

2011/04/22 Fri 21:33

 昔の木造建築は柱の上に太い梁が乗っている。城、社殿、寺院、屋敷などみんなそうです。重量物が上に乗る事で安定するらしい。上部が重いと頭でっかちで倒れそうな印象を受けるがそうではないのだ。
 寺社や武家の屋敷などに直線的な姿の良い材が使われる。農家などはお金を出してもそれらの良い材は手に入らなかったとか。身分が違うから使えないのだ。そこで、ぐにゃりと曲がった材木を梁に利用した。天井も貼らずに曲りの梁が見えるようにした。いや、わざとそうしたのかは、知らない。後年、この見える曲り材がデザイン的に人気が出たりするのだから面白い。
 寺社の軒の作りを見上げると、曲線で下がりながら張り出している梁をよく見る。構造工学でそうしたのか、デザイン的にそうしたのか知らないが、曲線の梁の両端を支える柱の長さは違って来る。この柱の長さを算出するのが難しい。三角関数ですね。数学でサインコサインタンジェントを習いました。三紐伐りの撮影で、倒れて来る巨樹に当たらない場所に無人カメラをセットする為に三角関数で巨樹の高さを計算しカメラを設置する位置を割り出したりしました。
 中村棟梁の持つ技術は、数学の三角関数ではなくて、差し金だけで割り出して来る方法です。「差し金」はL字型の物差しです。それで計算して再現した梁に墨を打つのです。その作業を撮影しながら、三人が三人とも何をしているのかと質問した訳です。
 曲がった木材を利用しての梁の設計は難しいのに、今回は事前にあった物に形を合わせなければ行けない所が、またまたややこしいのです。焼け残った柱には、梁が入るホゾがある。つまり場所が先に決まっている。その上、曲がった梁の下を直角に交差する別の曲り梁と接触もしなければならない。三点の接点があらかじめ決まっているその形に曲り梁を再現しなければならないのです。これを書いていて思いましたが、私の文才、表現力が稚拙で全然状況が分かりませんね。あーあ。
 建物は水平と垂直が基準です。梁がどれだけグニャグニャ曲がっていようと、垂直の柱の上に乗せます。その為に、斜めに設置される曲り梁にも、水平を表す墨を入れなければなりません。

Still0419_00012.jpg

上の絵で言うとブルーの線が水平線。これを現場では架空の線として作業を行うのです。架空というか、仮の線なんです。この仮の線の在処を探る作業を差し金と感で行います。それを撮影隊が端から眺めていても、さっぱり何をしているのやらチンプンカンプンなのです。この仮の線を決定するのが、赤丸で囲んだ三カ所の接触点なんです。
 私は現場に行った事がないので、撮影された映像を何回も観て想像力を働かせます。この時に、中村棟梁が大きな声で何でも話してくれているので、とっても助かりました。しかも、何回も分かるように手を変え品を変え話してくれるので、まとめて聞く私には大変分かり易い。現場で質問している三人がどこに引っかかって理解出来ないかまで分かっちゃうんだなー。つづく。
をはら筆
映像作品から
定期刊行物『民映研通信』(VOL.30 No.113 2011.4.1)が発行されました。

お手元に届いた方から、お電話やメールなどでお便りをいただいています。
定期上映会「アチック・フォーラム」、各地の上映と講演については、
メールマガジンでもお知らせしていますので、ぜひご覧ください。

さて、今号の内容は……

20110415a.jpg

◆声もなく、涙もなく、その人は立つ
 ─私たちの存在の深部・激震─

(民族文化映像研究所所長 姫田忠義)
「春を呼び、豊穣をたべ(給え)雪帽子」(忠) わが家の窓外に立つコブシの木が……


◆東海・民映研の映画を観る会
 「語るもの継ぐもの」―民のくらしと心の源流を求めて

・寄稿 深谷勇次郎(東海・民映研の映画を観る会)/蒲勇介(NPO法人 ORGAN)
・寝屋子を語り継ぐ―その足元にある生活、漁業を見つめて
 対談 山下正弥×姫田忠義/寄稿 山下正弥
・ワールド・カフェ「われわれが受け継ぐべきもの」


◆基層文化を手渡すために
 自主制作作品フィルム原版のデジタル化に着手しました

・民映研からの報告
・寄稿 澤上憲(さわかみ一般財団法人)


◆刊行のお知らせ DVDシリーズ「対論日本」第3巻 発売中
 『記憶と記録~基層文化の探究~』姫田忠義×佐藤洋一郎


◆新作報告 ビデオ作品
 『火災の教訓と重要文化財蘇生への歩み
  ―旧太田家住宅焼損復旧修理工事の記録』


◆連載 ATTIC FORUMから
2011年1月29日(土)『大隅の柴まつり』


◆連載 肥後小国の山から―秋吉太平さんの手紙
第1の話「夜なべ小屋」


◆INFORMATION
・各地の上映会/新しい定期上映会
・NEWS/第8回日本山村会議
・民映研関連書物復刊プロジェクト/お知らせ5
・今号の1枚

◆ATTIC FORUM(アチック・フォーラム予定)
 2011年4月~6月期
「自然のながれ・いのちのながれ(2)」

◆雑記(編集後記)
>>続きを読む・・・
民映研からのお知らせ
三つ紐伐り顛末が、ついに「その14」を迎えました。
映像はバッサリバッサリと切っていく、をはらさんですが
文章はじっくり・コツコツ、魅せます読ませます。

ところで、先日、内山節さんから以下のお便りをいただきました。


 東日本大震災で亡くなった人々を、みんなで供養しよう
―亡くなられた方々の冥福を祈る日をみんなでつくりだすことを呼びかけますー

最初の呼びかけ人・内山 節

【日時】2011年(平成23年)4月24日日曜日

この日にそれぞれの場所、それぞれの方法で亡くなられた方々への冥福を祈りましょう。
また12時正午にはみんなで祈りを捧げたいと思います。

【方法】
ご自身の信仰をおもちの方はその方法で、また他の方々はそれぞれが思いついた方法で。
被災地の方角を向いて手を合わせる、仏壇などをおもちの方はお線香を上げる、
近くのお寺、神社、教会などに集まり祈りを捧げる、ご自宅に思い思いのデザインの
半旗を掲げる、追悼の集まり、コンサートなどを開く、……方法は自分がよいと思う方法で、
自分のできる方法で。
国葬のような儀式にするのではなく、全国津々浦々でみんなが送る日にしたいと思います。

東日本大震災で亡くなられた方々のご冥福を祈り送ってから、もう一度はじめましょう。
※日程は「四十九日」の法要に合わせていますが、祈りの方法は自由です。

呼びかけの全文を、内山節さんのオフィシャルサイトでご覧いただけます。【→全文を見る】

民映研も先日、4月8日の会は冒頭に黙祷を捧げました。
震災から1ヵ月経った、4月11日にも各地で黙祷が捧げられました。

もう一度、そこに思いを馳せるための目印をご自身で確認する、
あるいは身近な人と共有し合う時間を持つことができたら、と事務局は考えます。

ですが、もしかすると、そこにご友人や親族がおられる方の中には
毎日毎日そのことを考え続けて辛い、という方もいるかもしれません。

そういう方は、少し力を抜いて休んでいただきたい、とも思います。
それが難しければ、数十秒、ゆっくりと大きく深呼吸してください。

内山さんの呼びかけの日の前日、4月23日はアチック・フォーラムです。

(文/事務局・C)
民映研からのお知らせ

三紐伐り顛末

2011/04/20 Wed 15:32

その14
 証文の出し遅れのようで申し訳ないが、作品から画像を抜いてみた。画面中央で日の光を受けているのが、主人公の檜です。左にシルエットで見える二本は主人公から20m以上離れた所に立っているにも関わらず、直径が同じに見えているのです。
真ん中が巨樹
 丁度この撮影位置の真反対へ寝かされる予定です。

下の写真は、ましらの如く、素手で巨樹を登る様子です。元々植林された木なのですが、植林後この地は田となりました。他の植林木は切られたのですが、畦沿いの木は残されてそのままおかれたので、特に枝打ちなどされずに年月を過ごしたワイルドな樹形です。
わらし
 
ヨキを振う足場も完成し、いよいよ始まるのです。
足場
 
 てっぺんに登り結んだ綱はワーヤーにつながれて、寝かされる方向へ引かれています。
 さて、その三紐伐りの具体的な伐り方の特徴をまだ書いていませんでしたね。
 この「をはら筆」ブログは、多数のテーマを同時進行で執筆しますので、それまで何を書いたか忘れちゃったり、その時思いついた事へ筆が走るので、まとめて読むとちょっと支離滅裂は否めません。それもまた良し。その日その日を大切に進めるのです。・・・つづく。
をはら筆

映像作品から

三紐伐り顛末

2011/04/18 Mon 11:54

その13 
 目通り150Cmの巨木を伐り倒す際には、割れが起きないように倒す方向を見定めなければなりませんが、同時に搬出するルートの考慮しておかなければ、作業量が増えてしまいます。特に今回の材の用途は神社の鳥居かもしれませんので、その場合は普段以上に長い材のまま搬出するかもしれないからです。
 そして三紐伐り保存会の面々の検討の結果、山側を少し避けた谷との中間とでも言う場所に倒す事に決まりました。因に保存会では、「木を倒す」とは言いません。「木を寝かす」と表現するのです。
 寝かす方向が決まると、邪魔になる植林木を伐採します。植林木も一本一本商品ですから、出来るだけ余計な木は倒さずに済む方向も考えるのです。今回は30m先にある植林木を一本だけ除く事にして、チェーンソウで伐りました。また、地面に残る大きな株も直撃すると割れの切っ掛けとなるので、角を削り邪魔にならないように始末します。
 巨木は30度程の斜面に立っています。ヨキを振うには足場が悪いです。そこで、周辺に転がっている間伐材で作業足場を作ります。幅1mほどの回廊のように木の谷側に取り囲みました。山側は少し地面を削り平らに仕上げました。
 巨樹の先端近くから綱を張り、山側へ引きます。この木は谷側よりに重心があるからです。その為の綱を先端へ結ぶ為に巨樹に登りました。一番低い枝が、約10mの高さ、梯子の長さが7m。あと3mをロープ一本で登るのです。これはちょっとびっくりしました。登られたのは、御年70歳は行ってる大ベテラン。てっきり若い衆が登ると思っていたのですが、豈図らんや高齢者が登場だったのです。素手で登る技術は段々廃れているのでしょうかねー。撮影していると、ちょっとハラハラするのですが、ましらの如く、スルスルと40m近くの上空へ消えて行きました。
をはら筆
民映研の日常
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