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三つ紐伐り顛末

2011/02/28 Mon 17:53

その10
三つ紐伐り前日に、所長姫田と私をはらは、浜松へ向かう予定を立てました。
カメラは3台準備し2台を有人で1台は無人カメラとする予定。
日本のテレビは強引な方法でまもなくすべてデジタル電波に置き換えられますね。デジタル電波の方が少ない周波数帯域で多くの情報を送れるのです。アナログ電波を終了させて生まれる隙間に別の電波事業を割り当てようと云う計画。
お陰で家庭のテレビはみんなデジタルHDテレビとなる。画面サイズが横長になる。
民映研にある16ミリ映画の画面は4:3で正方形がちょっと横に延びた感じのサイズ。それが16:9という比率の横長画面になるんです。
昔のテレビはブラウン博士開発のブラウン管と呼ばれる真空管で画面が出来ていました。真空管はガラス製。ですからテレビのもっとも初期には画面は丸だったらしいです。均一に力を掛けると丸くなったのでしょうかね。その後ガラス職人の努力か、少しづつ四角くなり4:3の方形の画面に落ち着いたのでした。
それが最近ではブラウン管は過去のものとなり、液晶画面類に変わったのです。お陰で16:9なんていう横長テレビも簡単に開発されたのでしょうか。因みに3:4の映画サイズは2:3の写真を撮るフィルムを利用して動画撮影用に改造したので35ミリフィルムの幅に起源があります。35ミリ映画のコストダウンと軽量化を狙ってフィルムを縦半分に切ったのが16フィルムです。
3;4の映画もだんだん横に伸び始め、ビススタビジョンと呼ばれる横長サイズがしばらく基本となっていました。なんで縦に伸びず、画面は横に伸びるか。
写真は縦の構図のものも多くありますよね。映画の場合は暗い部屋に閉じこめられて画面だけを眺めるので、横に二つならんだ目の構造から横長になったと云われていますね。写真は写真だけでなく、周囲に記事がある新聞雑誌に表現場所があたので、全体の構成で縦長の方が利用しやすかったとも言われています。うわさみたいな情報ですが。
三つ紐伐りの記録も当然HDでの記録です。ヨドバシカメラではもはやHDカメラしか販売していない時代となりました。小さくて安いカメラでも今までのSDカメラでは想像がつかないほど精細な画像を記録できるのです。この小さなカメラを無人カメラにしようと考えました。
で、明日浜松へ出発となった段階で事件発生・・・つづく

をはら筆
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民映研の日常
民映研制作、所長姫田忠義が出演するDVDが刊行されました。

PH対論日本3-1

DVDシリーズ『対論日本』
第3巻「記憶と記録~基層文化の探究~」(姫田忠義×佐藤洋一郎)


1. DNAと心/2. 人間の営みを総合的に捉える/3. いま、焼畑を考える/
4. 循環する農耕「焼畑」/5. 焼畑から考える農耕の歴史/
6. 自然の恩恵を共有する/7. 総合的に捉えるための課題/
8. 記憶と記録~基層文化の探究~

発 売 日:2011年2月26日発売
価  格:個人向3,990円/団体向21,000円(税込)
内  容:DVD・64分・カラー・日本語ステレオ・解説リーフレット8P

監  修:姫田忠義、佐藤洋一郎
企画協力:総合地球環境学研究所佐藤プロジェクト
制作協力:民族文化映像研究所 製作:ポルケ
企画・発行/発売・販売:株式会社 紀伊国屋書店

≪購入お申し込み≫

下記まで、商品名・部数・お名前・ご住所・連絡先をお知らせください。
民族文化映像研究所 事務局 minneiken@dream.com
(TEL.044-986-6461/FAX.044-986-6462)

PH対論日本3-2


>>続きを読む・・・
民映研からのお知らせ
小原さん、蘭さんによる「民映研ジャーナル<演出・技術編>」が
つづいておりますが、ここで事務局からお知らせです。

民映研制作の最新記録映像が、3月と4月の2回上映されます。
『民映研通信』4月号でも小原さん執筆の本作品記事を掲載予定です。


『火災の教訓と重要文化財蘇生への歩み
旧太田家住宅焼損復旧修理工事の記録』

(2011年/60分/旧太田家住宅焼損復元技術保存伝承映像実行委員会委嘱/川崎市)

【 完成上映会のご案内 1 】

この上映は、延期となりました。現在、秋以降をめどに日程調整中です。
すでにお申し込みいただいたみなさま、お詫び申し上げます。
何卒ご了承くださいませ。詳細決まり次第お知らせいたします。


日 時:平成23年3月22日(火) 14:30~16:30
14:30~上映会/15:30~座談会

会 場:川崎市産業振興会館 4階C展示場
川崎市幸区堀川町66-20 川崎駅西口徒歩8分

入場料:無料(定員40名・先着順)

パネラー:姫田忠義(民族文化映像研究所所長)、大野敏(横浜国立大学准教授・工学博士)

≪参加お申し込み≫
下記まで、参加者の方の人数・お名前・ご住所・連絡先をお伝えください。
川崎市市民・こども局市民文化室(TEL.044-200-2416/FAX.044-200-3248)

主催:旧太田家住宅焼損復元技術保存伝承映像実行委員会
共催:民族文化映像研究所、映像のまち・かわさき推進フォーラム
後援:川崎市 川崎市教育委員会
協力:川崎市立日本民家園
制作助成:芸術文化振興基金



【 完成上映会のご案内 2 】

この上映は、終了しました。

日 時:平成23年4月9日(土)
13:30~開場/14:00~上映/15:00~17:00座談
定期上映会アチック・フォーラムでの上映となります

会 場:民族文化映像研究所
川崎市麻生区岡上85-1スターレンテル1-103

資料代:1,000円(定員20名・予約不要)

≪参加お申し込み≫
予約・申し込み不要です。当日、上映時刻までに民映研事務所までお越しください。
上映後、所長姫田と民映研スタッフを交えて、みなさんでお話します。
お問い合わせは、事務局(044-986-6461)までお気軽にお電話ください。
>>続きを読む・・・
映像作品から

三つ紐伐り顛末

2011/02/27 Sun 14:51

その9
最小ユニットのもう一つの利点は、様々な費用が安価に済む事。
交通費宿泊費食費等様々な費用が撮影現場へ行くだけで生じます。これに×人数分な訳ですからね。少数精鋭はここが圧縮できる。このメリットは民映研にはとても大切なんです。デメリットもある訳ですが、なんと云っても目先の現金は重要なんだな。
で、三つ紐伐りの撮影には二台以上のカメラと二人のカメラマンを用意する事にしました。先輩の沢幡正範カメラマンと私。
沢幡さんは、伊藤碩男カメラマンの後輩。伊藤さん→沢幡さん→をはらと民映研のカメラマンの系譜があります。先輩二人の経験値には私なんて足下にも及びませんが、民映研カメラマンイズムは脈々と受け継がれています。このイズムの話はいづれ別の機会に。
で、三つ紐伐り撮影に当たっては、民映研らしい作品となるように、二つの担保を持つ事にした訳です。つまり、撮影は民映研スタイルが染み付いている、カメラマン澤幡さんと私。そして、演出者として所長姫田も現場へ行く。この二つを決定したのです。
昭和3年生まれの所長は元気なのですが、呼吸器の障碍で活動に弊害が最近はあるんです。ですから、樹木伐採現場へ行くという判断は最近はしない。無理はしない。飛行場のような平らな所でも息が上がるのですから、山道は無理と判断するのです。
ところが、南木曽の社長曰く「林道からすぐなんですよ。10分掛かりません」とのお言葉。なるほど、そんなに近いのならば所長にも登場願いたい。と思ったのです私は。
三つ紐伐り顛末その7でも触れましたが、所長姫田の視点が民映研カラーの維持持続に絶大なパワーを秘めています。ですから、三つ紐伐りの現場で直に所長が見聞きする事には、大変な意味があるのです。凡人と全く違う視点でモノを観ますから、私なんかが逆立ちしても敵わない。まさにオリジナルな視点を作品作りに取り入れる可能性が高まるわけです。
林道から10分と言っても山道ですから、ちょっと所長を連れ出すにはリスキーでした。でも、連れて行こうと、をはらは決心したのでした。・・・つづく
をはら筆
民映研の日常

質問への返答2

2011/02/26 Sat 14:24

カメラを手で持って撮影するか、三脚に乗せるかは対した問題ではないのです。それ以前にさまざま検討する必要がある事項があり、それらを丹念に詰めて来ると、撮影スタイルは最後に必然的に自ずと決まる。
撮影現場でカメラを覗く人が何に興味を持ったか、何を見たくなったかによってカメラワークは左右されるのです。カメラを覗かない(覗けない)演出者など場合によっては大変イライラもするのかもしれません。だからこそ、事前に打ち合わせている訳です。

もう少し具体的に技術的に返答をすると、
三脚を使った方が画面が安定する。しかし、三脚を立てる段取りに些か時間が掛かる。
事前に何事が起こるのか理解していれば、経験と感も駆使して三脚を立てて撮影するベストポジションを選定もしますが、撮影対象の動く・行動する範囲やスピードによってはこれが難しい場合が往々にして起こる。経験や感だけではとてもじゃないが、ベストポジションを選び出すのは不可能と言わざるをいえませんね。
三脚をA地点からB地点へ移動する。それなりに時間が掛かる行動です。その移動の間にも撮影対象は変化する。さて、そのとき撮影者や演出者の経験や感が役に立ちます。続けてA地点で撮影し続けるか、B地点へ移動して撮影するかの判断基準はまさに経験と感だと思います。(A地点とB地点は何十mも離れている場合もあれば、数十Cmの場合もあります)
ですから①のご質問の後半の返答は、「基本は撮る」という事ですね。三脚に乗ってる画面が理想かと云うとそうでもない。

続いて①の前半のご質問です。カメラのブレについての考え方です。
カメラのブレとは、画面が揺れる事です。カメラが三脚に乗っていれば、岩のように微動だにせず撮影する事も出来ます。四角いフレーム画面の中で物事が進行して行く様子を安定して眺めている事ができますね。
しかし、三脚を立てているヒマがない状況と云うのも、記録撮影ではよくあります。その場合は三脚を使用せずカメラを手に持ったり肩に担いだりして撮影を行います。人間が持つのですから、いくらじっとしていても微妙に揺れます。不安定な画面となるのです。さあこの揺れる映像をどう考えているのか教えてくれと云う話です。
答えはたったひとつにはなりませんね。
先ず一番の考えは、安定した画面を求めて段取りをしている間に撮影対象がどんどん変化してしまい、撮れないのではなんの意味もない。撮れてなんぼですから。
撮れてなんぼの世界でありながらも、何でもかんでもただ撮ればいい、写っていればいいと云うのともちょっと違いますね。三脚を立てているヒマがない場合、大きく二つの方法論を持っています。ひとつは、たとえ不安定な画面でも撮影する。極端な話をしますとピントがずれていてもまずカメラを回せと云う事です。ピントは後から合わせればいいのです。たとえ一瞬ぼけていてもその時カメラが回っている事を優先しますね。ピントを合わせてからカメラを回したのでは、物の始まりが写らない。その時そこにカメラがいた証なくなる感じでしょうか。
もう一つの方法は・・・つづく
をはら筆
民映研の日常

埼玉の押し絵羽子板

2011/02/25 Fri 14:44

民映研のアチックフォーラム銀座吉水・上映会で「埼玉の押し絵羽子板」を上映するに当たり、リーフレット「MIRU?」に掲載されるカメラマンのつぶやきコーナーの原稿を依頼されたので、「埼玉の押し絵羽子板」を観た。
1991年作品ですから、20年前の作品。技術的には丁度16ミリ映画とビデオ映像の端境期に当たる頃の作品です。

久し振りに作品を観て、フィルムとビデオとでは、同じ映像表現でも表現方法に随分と違いがあった事を思い知らされた。
現在の価値感ではビデオ的表現方法に軍配が上がるのだが、当時はまだまだフィルムの方がいいと本気で思っていた。(というか、両者は異質なものなので比較検討する事自体がナンセンスだと思いますが)
「埼玉の押し絵羽子板」を観て思うことは、ワンカットずつ丁寧に撮っていると云う事。丁寧というと聞こえはいいのですが、実はコストパフォーマンスがあまりにも低く、苦労した痕跡とも言えます。
フィルム撮影のコスト(フィルム代・現像費・プリント費)はとても高価、その為にフィルム使用量に制限があったのです。30分の映画を作る為に使用出来るフィルムは3倍程度だったのではなかったか。記憶が定かではないので、いい加減な数字ですが5倍はなかったと思う。
3倍と云う事は90分間撮影出来るフィルム量という事です。ビデオ感覚で表現すると90分テープ一本で、完成30分の作品を撮るなんて、今では至難の業です。はっきり言って無理!
このコストパフォーマンスの問題こそが、記録映像制作にはビデオが向いている最大の理由だと思われます。つい最近まで画質では電気信号のビデオより化学変化のフィルムの方が優れていましたが、現在ではほとんど神話となっています。
圧倒的な画質とコストパフォーマンスを手中にしたビデオ環境は無敵かと云うとそうでもない一面もあります。
羽子板がワンカットずつ丁寧に撮られている理由の一つはコストなのですが、それ故に手に入れるものもあります。逆に言うとビデオ環境になって忘れた事もあるという事です。
単価の高いフィルムを使うと、押し絵羽子板製作の中の何を撮影するか、そのフィルム割当量の案配はどうするか。それらを事前によく考えておかなければなりません。撮影計画をフィルム量を鑑みて考えるのです。その為には下見も必要になります。完成30分に入れる項目とその割合も計画します。計画を記したものが撮影台本です。記録映像ですからあまり細かく取り決めた台本はありませんが、全体のイメージの共有化は大切な事でした。
撮影現場では、計画に沿って羽子板職人さんを追う訳です。でもね、あらゆる職人さんの仕事は見ていると、とても面白い。興味が尽きない。で、結局フィルムを使い過ぎたなんて事が日常茶飯事に起こる。カメラが回っている時は「1、2、3、4、5、6、7・・・」とカウントしたりした物です。
ですから、ワンカットに写る画面の構成も良く考え、職人さんの行為の中のどの部分を撮るかもよく考える。大切なワンカット数秒間にいろいろ詰め込む作業をしていたわけですね。
ところがこれをビデオカメラで撮影するとですね・・・。つづく
をはら筆
映像作品から

質問への返答1

2011/02/24 Thu 11:30

ブログへ、二つの質問が来た。
質問が来るのはうれしい。
このサイトの使い方がわからなくて、毎日何人が訪れているのかがわからない。よくある数字が単純に増えていくカウンターがないんだな。ちょっとモチベーションが上がらない構造。
しかし、仮にカウンターの数字が増えてもどこの誰だかはわからない。誰でも読んでくれているなら単純にうれしいが、今回の様に質問が帰ってくるとそこに確実なバーチャルじゃない人影を感じられてより楽しい。
さて、質問は二つありました。撮影技術に対してと、撮影現場への究極の質問と。

【質問】
① 手持ちで撮影するときのカメラブレはどのように考えていますか? 
  基本は三脚を使用し、やむ終えない場合のみ手持ちでしょうか? 
② 撮影で姫田監督と激突したことはありますか? 
  そのときは監督が折れますか、撮影者が折れますか?

【返答】
「三つ紐切り顛末 その8」でも触れていますが、記録映像制作現場での最小ユニットは演出と撮影の二名です。つまり、役処の重要なものが取捨選択された結果とも言えます。
記録映像に必要な役が演出と撮影という考えのは些か問題も含みます。が、その話はまたいずれ。

演出者と撮影者は野球のバッテリーのように例えられたり、夫婦のようと語られたりします。
まさにそういった部分も大いにありです。異業の二人なので感性を託す技術が違うのです。互いに補完しあう関係がある種の理想なのかもしれません。
記録映像の場合、撮影対象はこちらの思うようには動いてくれません。役者ではないので、そこを演出は出来ないのです。撮影対象が自由なら撮影側も自由でいないと仕事が出来ない。演出の指示を待ってカメラが回るなんて事じゃ遅い場合がほとんどの事。となると、演出と撮影は事前に十分な打ち合わせを行い意志の疎通を図っておかなければ、演出者の必要とする画は撮れない。つまり、撮影現場では二人はある意味ばらばら。同じベクトルを向いてはいるのですがそこで打ち合わせや指示している暇はない。撮影対象はどんどん先へ進んでいるのですから。
さて、そこで質問①ですが・・・つづく
をはら筆
民映研の日常
P2211204.jpg

民映研作品4「うつわ ~食器の文化~」という映画がある。
1975年に製作された作品で、民映研作品では非常に珍しいことにオリジナルの音楽が使われている。
先日倉庫を整理していたところ、この写真のテープを発見した。
(と言っても、僕が見つけて喜んでいるだけで、ずっと民映研としては保管はしているのだが・・)
別の仕事でスタジオに行ったおりに、このテープを聴き、ProToolsでデジタル音源としてきた。

この作品は、非常に僕の中では特別な存在。
というのも、作曲をしたのは林光さん。
当時、うちの兄が林光さんに作曲を習っていた関係から、父(姫田)が作曲を依頼したと記憶している。
そして音楽が録音されたスタジオ(昭和50年7月 新宿の太平スタジオ)へも、兄と見学に行った。
僕は当時小学校3年生。いまでも鮮明に憶えている。

記憶では、光さんがピアノ・チェンバロ・チェレスタを弾き、フルート、ヴァイオリン、チェロという編成。
ラッシュ・フィルムを投影し、そこに音楽を演奏してつけていく。
現在では、映像に音楽を付ける場合、PC上のDAWソフトに録音ファイルを貼って(?)いくのが主流だが、
当時のことだから、昔(?)からの方法で、映画フィルムを投影しながら生演奏をしていた。

さて、「民映研作品には音楽はいらない」・・・・??との発言がある。
これは、この作品が出来上がった直後に「民族文化映像研究所」の看板を揚げ、
その発会式の席上で、発起人である宮本常一先生が言い放った・・・と記憶している。
しかも、その席のとなりに、当の作曲家・林光が同じく民映研の発起人として座っていた。
まぁ なんと大胆なことをいいなさる・・・と思える宮本先生の発言である。

この発言は、僕は確かに言えていると今でも思っている。(賛同している・・・)
この何十年、民映研に携わったスタッフの多くも同じ意見なのではないだろうか?
やはり淡々と行事や技術の行程を記録している映像に、音楽というその現場に実際に無かった「音」が
存在する違和感が、そう思ってしまう由縁ではないかと僕は思っている。
実際の問題としては、大変お金がかかる音楽を依頼する余裕が無かった・・のが実情なのだが・・。
僕自身も以前は音楽を民映研作品のために作っていたことがある。
作品名は伏せるが、連作の作品。作曲料は1作品あたり1万5千円。
ひぇ~ 音楽屋を殺す気ですか!?と、わが父ながら民映研代表を恨んだものだ。
実情は予算の関係上、音楽作曲料は捻出できず、選曲料しか予算準備していなかったのが理由なのだが。

いまや映像に音楽はあふれ、著作権フリーの安易な音楽は家電量販店だって買うことが出来る時代。
しかしこの作品の音楽は、今とは全く違っていて、
それこそ製作スタッフとしては、清水の舞台から飛び降り積もりで、作曲を依頼したのだと思う。


P2211210.jpg

さて、このテープ。いわゆる「マザーテープ」。
完成した「マスターテープ」ではない。
マザーは、音楽を録音したテープで、いわば「元テープ」。
実際の映画作業では、このテープからやりくりをするので、ダビングをして使う。
どうやら昭和50年以降、一度もこのテープは再生された経緯がないようで、
非常に保存状態が良かった。
今は亡きスコッチの6ミリテープ(オープンリールのテープ)。中には粉が吹いたり、べっとりしたり、
36年経たものは再生も出来ないことがあるという。
そして「転写」と言って、密着したテープは、テープの他の部分の音が入ってしまうこともあるそうだ。
テープもウニョウニョせず、バッチリ再生出来た。

何故、いまこの音楽を出して来ているのか・・・。
上記に書いた、民映研の音楽使用について、いま一度考えているところなのである。
以前はこの作品の音楽が、どうしても違和感があり、正直あまり好きではなかった。
だが、ここのところ「うつわ」という作品をみるにつけ、考えが変わってきたのだ。
「いいではないですか! この作品!」と。
演出の姫田は当時47歳。 まだ民映研の看板を揚げておらず、作品も3つしか製作していない。
作品の中では、その姫田自身が旅をして、写り込んでいる。
今では雄弁な?姫田だが、この作品では台本は書いているとは言え、
ただただ旅をして、映像に映り込まれている。
監督自身が写っている作品も珍しい・・・。
伊藤碩男と小泉修吉と姫田という、3人組での製作は勿論。ナレーションは糸博さん。
映画では「わたし」という姫田があり、そのわたしの声は糸さんなのだから、「子供」としてはちょいと変?。
今年僕は46歳になるのだが、ちょうど父の当時の年齢になっている。


IMGP2083.jpg
(現在も精力的に活動を続ける林光さん 山形市で撮影)

だいぶ話が長くなってしまい、ホントは小原方式で「続きもの」にすべきなのだが、一気にアップする。

何故? の続きだが、
今年、林光さんは80歳を迎える。
それを記念して、現在僕は1年かけて林光の活動を追っかけている。(民映研の仕事ではない)
とにかくお元気な光さん。 その過密スケジュールには本当に驚かされる。
ここでなんとか・・・80歳を迎える林光と、今年35周年を迎える民映研を繋げられないものか・・・と、
思案中なのである。






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映像作品から

三つ紐顛末

2011/02/21 Mon 19:15

その8
撮影の最小単位である2名体制の利点はフットワークの良さが上げられる。ただし持ち物も最小。つまり機材さえも制限を受ける。必要最小限の道具しか持たない。
この事は撮影機材がデジタル化して特に恩恵を受けている。昭和の16ミリフィルムでの取材時代には、どれだけ荷物を減らしても小型軽量なんていい切れなかった。なぜなら16ミリフィルム時代の機材は必要最小限でも重量があったから、二人で運ぶのでは些か重労働。最低ユニットは3名かな。それでも伊藤碩男カメラマンと二人で撮影に何度となく出掛けていますが。重量に関係なく二人体制が民映研にはあったって事ですね。
それが現代においては、私一人でも三カメを持ち歩ける。「三カメ」は三台のカメラシステムの事。テレビ業界から発達してきた仕組みでマルチカメラともいいます。マルチカメラは複数のカメラを使用する仕組みをいいますが、カメラが二台ではマルチとは呼びません。三台以上のカメラが揃うとそう呼ぶのです。なぜ三台以上なのかはまたいずれ。
事ほど左様に機材の小型化が進んだと云う事です。
で、二人体制のメリットの話。
フットワーク以上にいいなーと感じるのは、我々取材者の持つ威圧感が軽減する事。いやいや軽減していると感じているだけかもしれませんが。
誰かを取材するために我々は出掛けます。必ず人と出会う。人と出会わなければ始まらない訳です。大概、民映研の場合は90%以上かな?概ね都会からからやって来た我々と田舎の人々が出会う。(田舎を差別用語とか言わんで下さいね)その事がまずイレギュラー非日常な世界の始まりなんですが、その時に出来るだけ人数は少ない方がいい。大勢が退去して押し掛けたりしない。同時に撮影機材も小さい方がいい。出来るだけ目立たない方がいい。都会からわざわざ訪れているのですけど、さりげなく何気なく目立たない方がいい。そう考えると、撮影機材は実に邪魔っけなんだなー。あーこれはをはらの私見ですけどね。つづく
をはら筆
民映研からのお知らせ

三つ紐伐り顛末

2011/02/20 Sun 18:07

その7
三つ紐伐りを撮影するにあたり、最終形のイメージは固まらないながら、カメラを複数用意して望む事を決めました。
これで、取り合えず記録するための基礎条件が少し整った訳です。
つぎに考えるのは、「民映研」らしい視点の確保です。これには二つの道があります。
まず一つ目は前述しましたが、記録映像の視点の中心は演出する監督ディレクターの思想が大きく関わります。民映研では何人かが監督業を担当をしていますが、その中心人物は所長姫田ですね。直接監督する事がなくとも、民映研カラーの持続には多大な影響力がある人です。つまり、視点の確保のための選択の一つは三つ紐伐りの演出を姫田が行うのが近道であると。
もう一つは、前述している伊藤碩男カメラマン以下連なる「ほぼ民映研専属」カメラマンが撮ると云う方法論。
映像制作で作品の出来を左右する重要なポジションは、演出と撮影。特に記録映像制作現場では、この二職種が重要なのです。
一般に劇映画やCM撮影などの映像制作の現場には様々な職種が関わります。
制作・演出・撮影・録音・照明・美術・記録とそれぞれに助手もあります。しかもこれらは撮影現場に直接関わりのある職種で、撮影後にも別のチームが関わりを持つのです。編集・録音・効果・音楽等々。これが記録映像ドキュメンタリーとなると、少数精鋭で現場スタッフの最小単位は二名。つまり演出者と撮影者。もっと小さな撮影単位には撮影者のみという選択もあります。しかし、これは特殊な例で実は演出と撮影を兼ねた人物と言う事で、一人の人物でも役職はふたつと云う変則形なんだと思います。民映研では過去に一人だけど二人作戦は何度か実行されています。その話は別の機会に。
で、民映研の基礎的撮影単位の二名体制には、大きく二つの理由があります。つづく 
をはら筆 
民映研の日常
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