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知っている人は知っていると思いますが、知らない人は全く知らないことだとおもいますが・・・
民映研のフィルム作品(主に初期作品)を、YouTubeでこつこつアップしているのです。
始まりは6月末に行ったキネアティックでの上映会宣伝の為。
しばらく放置状態?だったのですが、結構インターネット検索で辿り着く人もいらっしゃるようで、
再生回数が(微々たるものですが)増えております。

『民映研プレス』 というYouTubeチャンネルでございます!

民映研を以前から知っている人には抵抗があるかもしれないですが、
ネット検索で偶然作品を見つけてくれる人がいる・・・すなわち新しい出会いがあるので、
私は「これは必要だわなぁ」と思い、
作品を管理している権限を活かして?こつこつアップしているのです。
民映研は過去約40年ほど、作品を大切に保管・管理してきました。
それこそ、おいそれとスタッフにもコピーを取らせない厳しい?管理体制です。
作品の貸出には、お約束もしっかりございます。
決して素人が撮影した素材を無料で公開している団体ではないのです。
しかし全く民映研を知らない人、そして遠方で参考に少しでも作品を見てみたいという要望に応えて、
いわば名刺代わりに「予告編」と称し、ダイジェスト版をアップしはじめました。
(いわゆる劇場映画のほうな予告編ではありません。短縮版と言うにはあまりにも粗雑な編集なので・・)
これは普及活動の一翼だと思い行っている所存です。

さて、再生回数のダントツ1位はNo2「アイヌの結婚式」です。
3か月ほど前に一度リセット(ファイルを粗いものにしたもので)したのですが、
現在約1600回の再生がありました。
やはりアイヌ文化を検索している人が多く、関心を持たれるようです。
残念ながら他の作品は、アイヌの結婚式には及びません・・・・。
また反響もあまり無いのが実情でしょうか。
でもNo6「豊松祭事記」は山村会議宣伝の反映もあり、320回ほどあります。
今後少しでも再生回数が増えればいいなぁ・・と管理者の私は切望しておる次第です。

*****************************

アイヌの結婚式の再生が多い・・・ということで、アイヌ文化関連の映像を数日前にアップしてみました。
No10「沙流川アイヌ・子どもの遊び」 No41「沙流川アイヌ・子どもの遊び ~冬から春へ」 
No11「アイヌの丸木舟」
他の作品も今後アップしていくつもりです。

そして、二日ほど前に  No4「うつわ ~食器の文化」 も。
民映研事務所でアップ素材を編集し、夜、アップ。
すると何時間もしないうちにツイッターへ質問をいただきました。
それは映像に出てくる岩手県一戸町の「漆かき」さんの姿。
岩手の浄法寺で漆関係のお仕事をなさっている方から、
「これは大変貴重な記録ですね。
これほど太い木は地元でも見られなくなりました。いつ頃の撮影でしょうか。」
と。
1975年完成の作品ですから、おそらく1974年~75年に撮影されたものです。漆かき職人さんは砂森栄三男さんです。
と返信したところ、
「ありがとうございます。一戸の漆掻き職人はしばらく後継者がいなかったのですが、今年地元の若者が漆掻きを始めたところです。ぜひ砂森さんのような名人に育ってほしいです。」と返信が直ぐに届きました。
翌日、所長・姫田に話したところ、YouTube&Twitterのあまりにも早い反応に驚きました。
「すぐに反響があるんだなぁ」と。
私は何度も見ており、映像に写る漆の木がいかに太い木なのかということは考えたことがありませんでした。
しかしツイッターで質問を頂いたことにより、「そうか、現在ではあんなに太い木は珍しいことなのか」と
教えられたわけです。 

   

No4「うつわ ~食器の文化」 /1975年/41分/16ミリカラー/
過去のブログ記事

『 わたしたちの身のまわりには、
長い歴史の流れを受け継ぎながら、
今に生きている生活文化がある。
日本的なうつわ(食器)もそうである。
その源流と展開を日本全域に訪ねた。 』


演出・姫田忠義 撮影・伊藤碩男 製作・小泉修吉 監修・宮本常一 音楽・林光 ナレーション・糸博

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日本全国(北海道から沖縄まで)を駆け巡って撮影した作品。
作品の中では「奥会津の木地師」「椿山 ~焼畑に生きる」の映像が出てきますが、
この作品の完成後に、これらは独立した作品になった経緯があります。
YouTubeの映像後半に出てくる解説の声は、宮本常一先生の肉声です。当時67歳頃だと思います。
また映像全編通して流れる音楽は、林光さん。
林光さんは現在闘病中ですが、民映研発足の発起人でもありました。
また冒頭の与那国島でクバの葉で湯を飲むランニング姿、加曾利貝塚で縄文土器による粟を煮て食べている男は、所長・姫田忠義、当時46歳。(現在の私の年齢ですわ)

さて、長々とこのブログに書きましたが、反響・反応は如何に!?
とにかく再生回数が増えることを祈りつつ・・・                            (姫田蘭)
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映像作品から

日の目を見る13

2011/05/10 Tue 15:58

 素材が足りないなんて文句を言っても編集をしなければならないのだ。
 1から10までの素材が全て丁寧に取材撮影されていると、その進行を丹念に追いかける事に気がいってしまって、上っ面だけを眺めて満足なんて事になり易い。映像の編集作業は「引き算」。たまに足し算で仕事をする人もいますが、原則引き算で作り上げるのです。つまり、折角撮影してきた素材を使わないという判断をしなければならない。とても美しく撮れたカットでも、編集上いらない、不要、と判断されたらそのカットが日の目を見る事はない。これが自分たちが苦労して撮影したカットでもである。ここが編集の難しい所。
 今回は、撮影現場に全く関わっていない私が切るので、妙なロマンティシズムな全然ない。心を鬼にする必要もなく、別の次元で判断してポイっと捨てる事が出来る。ははは!画を見れば苦労は分かります。何回もトライしてやっと撮れたカットも見ていると分かる。しかし、編集にその苦労は持ち込まない。編集上不要なものは不要。で、さよなら。
 つまり、今回のように、1から10まで揃っていなくて、丁寧に説明しきれない場合などは、幸運というかあきらめが付き易いのですね。

話は変わりますが、インターネットにYoutubeと呼ばれる動画サイトがあります。ここに民映研の作品予告編がならんでいます。http://www.youtube.com/watch?v=jh_lUlXt32M  これは「奥会津の木地師」です。
をはら筆
映像作品から

日の目をみる12

2011/05/02 Mon 11:31

旧太田家住宅に記録の編集作業は、保存された58本のビデオテープの中で行う。当たり前の話だが、20年前の事柄なので今更追撮は出来ない。全ての撮影作業では、基本的に追加撮影という考えはない。その地域を代表する山とか海の情景を季節に合わせて天候を鑑み、再撮影する事があっても、本編内容に関する事柄は全て済んでしまった事なので、再撮影は不可能という事である。
 なのだが、ビデオテープに写っている事柄しか知らない構成編集を受け持つ私は若干の不安もある。撮影された映像を観るとは、客観的視点で、撮影者諸氏の主観的視点とは若干ずれる。客観的に眺めた方が事実の認識が深くなる部分が多々ある。つまり、足りない部分に気付いても如何ともしがたいのです。
 今回の試写で気付いた多いに足りない部分は、たった一つの事に起因していた。
 そもそも、この重要文化財の復旧修理工事の映像記録は予定が無かった。報告書が残されるだけの筈だった。
 しかし、中村棟梁は思った。今までは解体して日本民家園へ移築する行程は映像記録されているが、今回の様な再現も含めた復旧修理工事はなかなか記録出来ない仕事だと。大工の棟梁としても腕の見せ所という部分もあるのでしょう。そこで、中村古建築と民映研が予算を捻出し自主制作された訳です。つまり、この記録映像は公式記録ではありません。
 そこに生じる大きな問題。それは予算です。小さな会社が二つでやる事業ですから、撮影クルーが毎日復旧修理工事現場に張り付く事は出来ないのです。機材費人件費と様々な費用が必要になるからです。そこで中村棟梁とも良く検討し、川崎市の工事主任だった野呂瀬正男さんや県教委だった大野敏さんの助言をいただきながら、ピンポイントに撮影の日取りを計画したのだと思います。
 この事で、どこに問題が生じるかと言うと、大切であるから記録撮影を行おうと決めた作業の前段階やその後が撮影されずに抜けてしまう事が生じるのです。1から10の作業の内、4から7だけ撮影してある感じです。現場に立っていると1も2も見えていて、8、9、10も見ていると当たり前な感覚になり易く、撮影しない事があり得るのです。
1や2がなかったり、9や10がないと伝えにくい事もある訳ですが、今さらどうしようもないのも事実ですね。・・・つづく。
をはら筆
映像作品から

日の目を見る11

2011/05/01 Sun 13:36

「火災の教訓と重要文化財蘇生への歩み~旧太田家住宅焼損復旧修理工事の記録」の完成上映会は東日本東北地震大津波の影響で延期になっていますが、今年9月頃に開催するべく活動しております。お楽しみに。
 
 現代の建て売り住宅の工事などを眺めると、型枠にコンクリートを流して基礎を作っています。17世紀に立てられた旧太田家の頃にはコンクリートがなかったので、叩き突き固めた地面に礎石を置いて礎としました。柱の数だけ石が並べられているのです。単純なイメージで表現すると、碁盤の眼のようになります。線の交点に礎石がありそこに柱が立つのです。その礎石と柱の位置を表す「符号」があります。
碁盤の目の縦線を「い・ろ・は・・・」で表現し横線を「一・二・三・・・」と表す。一番端っこの角が「い一」番です。縦に四つ、横に六つの交点は「に六」番。「にのろくばん」と呼びます。これは交点を表す符号ですから、柱の名前でもあります。
では柱から柱へ渡る梁や桁は、どのように表現するのかというと、い・ろ・は・・・の列は「い通り・ろ通り・は通り・・・」と呼び、一・二・三・・・の列は、「一通り・二通り・三通り・・・」と表現する。
そして実際に17世紀の柱や梁を解体してみると、仕口には墨書きで「い七」とか書かれている。その「い七」の仕口の反対側には「い二」と書かれている。つまり、この材は、い通りの梁で、い二番の柱からい七番の柱へ渡っていると分かるのである。全て部材にそれらの記入がある。

 下の図で説明すると、画面一番手前の柱が「い一」で、その左横が「ろ一」そして「は一」「に一」・・・「と一」まである。「い一」の右となりは「い三」となる。礎石と柱は「い一」の隣なのにどうして「い三」へとんで仕舞うか?「い二」は地面と接触せずに梁の上の桁として天井辺りに存在するからなのです。

Still1205_00000.jpg

 20年前の映像を解説なく眺めていると、似た様な形状の梁や桁が登場するが、画面の中にちょっとでもこの符号が書かれているのが見えさえすれば、部材を特定できるのである。この符号を発見してから、画面の中の行為の理解は格段に上昇した。どこの何をどうしているのかが、分かるようになったのである。同時に、画面の中で語る中村棟梁の言葉も断然分かるようになった。
 これで、モノが出来るまでは理解できる。さて、ここに写っているもので何が表現出来るか、その事である。・・・つづく。
をはら筆
映像作品から

きもの

2011/04/27 Wed 23:31

 日本の民族衣装と言えば着物。まあ日本には色々な人々がいるので、これっと決めつける事は出来ませんがね。
 着物は洋服のように立体裁断されていないので、ぺたっと平にたためるのが魅力的に感じます。平面構造の布で多彩な局面で構成された人体を包むのですから、地球レベルではかなり変わった衣装ですね。しかし、短足ずん胴な民族にはなかなかどうして優れたインダストリアル・デザインだなーとも感じます。
 着物は結構暖かい衣装です。真冬も以外といけます。というか、夏向きの衣装ではありません。浴衣もかなりうっとうしい暑苦しい衣装です。
 民映研では、ナレーションを担当している糸博さんが着物愛好家です。仕事以外ではよくお召しになられているようで、民映研に着物で遊びに来る事もありました。健康をがいしてお酒をやめてしまいましたが、糸さんはお酒好きとしても、民映研で一二を争います。午前中にスタジオの録音が終わってしまって、そのまま民映研に来て、一升瓶の日本酒を飲んでいたりしました。日中ですので、皆仕事しているのでなかなかつき合えないのですが、それでも何度か昼間からつき合って、酔っぱらった記憶が数回あります。
 民映研で着物というと、所長姫田の衝動買い事件が有名です。福島県昭和村でカラムシの撮影中にカラムシで織られた布で作られた「上下」を突発的に購入したそうです。私はその場にいなかったので詳しくありませんが、所長に聞いてみて下さい。「上下」はかみしもです。遠山の金さんがお白州で片肌を見せるときに脱ぐ、三角の奴ですね。さすがに上下までは欲しいと思いませんが、私も着物ワールドに入門しています。最近ですけど。
 アジア民族衣装が好きで良く着ているのですが、やはし、日本人は着物だろーって事で、着物ワールドへ入門したのですが、一から七ぐらいまでは揃えないと始まりません。取り敢えず「帯」だけとかありませんから。これを新品で買うとやはり30万円以上の初期投資が必要になっちゃいますね。で、私の場合は知り合いから「長着」「羽織」「帯」「長襦袢」を貰ったのでラッキー。足袋を買い、羽織の紐を自作しました。着付けは昔何度か着た事があったので、雑誌購入して自ら習いました。下腹がたっぷりあるので、詰め物はなし!
 で、近々結婚式にご招待頂いているので着物で参上しようと計画したのですが、さすがに長着に羽織では行けないので、正絹の黒羽織と袴をGETしました。まあ友人ならこれでいいでしょう。問題は花婿よりもかっこうよくならないことですねー。気をつけなくっちゃ。
をはら筆
映像作品から

日の目を見る10

2011/04/26 Tue 14:30

 柱の上に上がった時には明らかに斜めに位置する梁も、地上で作業用のウマに乗せられて横向きに置かれると、ゆっくりとしたカーブには目がいかずに直線的に見えてしまう。その直線が水平と勘違いしてしまうと、本当に水平を割り出すため張ったミズイトが、斜めに張られたように感じてしまうのです、Still0419_00013.jpg

上の写真で中村棟梁がメジャーを当てて腕を延ばしている方向がミズイトを張る方向。つまり地面と平行の水平な線です。水平と梁の置かれる角度とは違うのです。(棟梁が立っている方向が床)(左側に置かれた黒い物体が、焼け焦げて小さくなったオリジナルの梁)

Still1205_00000.jpg

 中村棟梁がミズイト張りをしている梁は、上図では、手前の角から右方向へ三本目の左となりの柱と、手前の柱の隣の柱に乗るモノです。上図の奥半分の材はかなり再利用しますが、手前部分は再現材と入れ替えます。これらの梁や桁のミズをひとつひとつ探り決定しながら作業は進みます。
 撮影順に試写をしますから、時間軸が前後する事はないのですが、非常に良く似た形状の梁や桁なので、同時に進行している作業を撮影してあると、何がなんだか分からなくなって来ます。Aだと思っていた材がBだったりCだったりするのです。
 画面をじっくり眺め、報告書を読み込んで、ある符号を発見しました。これを理解すると部材の特定がとても簡単になるのです。その符号とは・・・つづく。
をはら筆
 

映像作品から

日の目を見る9

2011/04/22 Fri 21:33

 昔の木造建築は柱の上に太い梁が乗っている。城、社殿、寺院、屋敷などみんなそうです。重量物が上に乗る事で安定するらしい。上部が重いと頭でっかちで倒れそうな印象を受けるがそうではないのだ。
 寺社や武家の屋敷などに直線的な姿の良い材が使われる。農家などはお金を出してもそれらの良い材は手に入らなかったとか。身分が違うから使えないのだ。そこで、ぐにゃりと曲がった材木を梁に利用した。天井も貼らずに曲りの梁が見えるようにした。いや、わざとそうしたのかは、知らない。後年、この見える曲り材がデザイン的に人気が出たりするのだから面白い。
 寺社の軒の作りを見上げると、曲線で下がりながら張り出している梁をよく見る。構造工学でそうしたのか、デザイン的にそうしたのか知らないが、曲線の梁の両端を支える柱の長さは違って来る。この柱の長さを算出するのが難しい。三角関数ですね。数学でサインコサインタンジェントを習いました。三紐伐りの撮影で、倒れて来る巨樹に当たらない場所に無人カメラをセットする為に三角関数で巨樹の高さを計算しカメラを設置する位置を割り出したりしました。
 中村棟梁の持つ技術は、数学の三角関数ではなくて、差し金だけで割り出して来る方法です。「差し金」はL字型の物差しです。それで計算して再現した梁に墨を打つのです。その作業を撮影しながら、三人が三人とも何をしているのかと質問した訳です。
 曲がった木材を利用しての梁の設計は難しいのに、今回は事前にあった物に形を合わせなければ行けない所が、またまたややこしいのです。焼け残った柱には、梁が入るホゾがある。つまり場所が先に決まっている。その上、曲がった梁の下を直角に交差する別の曲り梁と接触もしなければならない。三点の接点があらかじめ決まっているその形に曲り梁を再現しなければならないのです。これを書いていて思いましたが、私の文才、表現力が稚拙で全然状況が分かりませんね。あーあ。
 建物は水平と垂直が基準です。梁がどれだけグニャグニャ曲がっていようと、垂直の柱の上に乗せます。その為に、斜めに設置される曲り梁にも、水平を表す墨を入れなければなりません。

Still0419_00012.jpg

上の絵で言うとブルーの線が水平線。これを現場では架空の線として作業を行うのです。架空というか、仮の線なんです。この仮の線の在処を探る作業を差し金と感で行います。それを撮影隊が端から眺めていても、さっぱり何をしているのやらチンプンカンプンなのです。この仮の線を決定するのが、赤丸で囲んだ三カ所の接触点なんです。
 私は現場に行った事がないので、撮影された映像を何回も観て想像力を働かせます。この時に、中村棟梁が大きな声で何でも話してくれているので、とっても助かりました。しかも、何回も分かるように手を変え品を変え話してくれるので、まとめて聞く私には大変分かり易い。現場で質問している三人がどこに引っかかって理解出来ないかまで分かっちゃうんだなー。つづく。
をはら筆
映像作品から

三紐伐り顛末

2011/04/20 Wed 15:32

その14
 証文の出し遅れのようで申し訳ないが、作品から画像を抜いてみた。画面中央で日の光を受けているのが、主人公の檜です。左にシルエットで見える二本は主人公から20m以上離れた所に立っているにも関わらず、直径が同じに見えているのです。
真ん中が巨樹
 丁度この撮影位置の真反対へ寝かされる予定です。

下の写真は、ましらの如く、素手で巨樹を登る様子です。元々植林された木なのですが、植林後この地は田となりました。他の植林木は切られたのですが、畦沿いの木は残されてそのままおかれたので、特に枝打ちなどされずに年月を過ごしたワイルドな樹形です。
わらし
 
ヨキを振う足場も完成し、いよいよ始まるのです。
足場
 
 てっぺんに登り結んだ綱はワーヤーにつながれて、寝かされる方向へ引かれています。
 さて、その三紐伐りの具体的な伐り方の特徴をまだ書いていませんでしたね。
 この「をはら筆」ブログは、多数のテーマを同時進行で執筆しますので、それまで何を書いたか忘れちゃったり、その時思いついた事へ筆が走るので、まとめて読むとちょっと支離滅裂は否めません。それもまた良し。その日その日を大切に進めるのです。・・・つづく。
をはら筆

映像作品から

埼玉の押し絵羽子板2

2011/04/16 Sat 12:12

フィルムに比較すると無限に撮れるが如くのビデオテープ取材では、ただただ単純に何でも撮ろうとしてしまうんですねー。これが最終的にはあまり良い結果を生まない。ワンカットへの思いが減るとでも言いましょうか、コストの心配も少なく取り敢えず撮ろうという考え。この「取り敢えず」がろくな物じゃないのです。
 何故撮るのか、どうしてここから撮るのか、今が一番いいのかなど、検討に値する事柄は上げれば、枚挙に暇がありません。しかし、世の中、事態、環境、時間は刻々と進み変化し続けていますから、検討するなら一瞬で回答を見つけなければならないのです。その能力が、フィルムキャメラの頃には確実に合ったのですが、ビデオテープに変化してどんどん、あっという間に退化しました。瞬間の判断力は、鍛錬していないと失うのです。ですから、ビデオ作品には、必要な事柄は確実に写っているのですが、写っているに過ぎないカットが多くなるのです。
 写ると撮るは随分と違います。写るは、最近やたらと数が増えた監視カメラの映像です。24時間稼働して記録されたビデオテープには様々なモノが写っています。ある場所に設置して、ある方向を撮影記録し、必要があれば写った映像の中から意味のある事柄を探す。
 対して撮るには、意思があります。撮る側の人間が明快にある場所へ出向き、ある方向を定め、ある瞬間を記録する意思です。ロケ場所へ行き、キャメラを準備し、ピントを合わせ、キャメラのシャッターを押す。この行為には偶然写る事を期待する部分がありません。結果として偶然が写る事はあるのですが。
 無限に近く撮れる環境になった途端に、この意思へのこだわりが稀薄なってしまったのです。
 それでも、長年フィルムキャメラを扱ってきたキャメラマンには、薄くなったとはいえ、撮る意思の全てを失った訳ではありませんけど。
 「埼玉の押し絵羽子板」には、フィルム故のコスト意識とワンカットへ意識が多いに感じられます。画面に滲み出てしまうんですねー。これが、なんか古くさく感じる要因の一つかもしれませんね。フィルムで撮っていたときの感性を大切に、ビデオを扱えばいい面もたくさん発揮されるかもしれませんね。
をはら筆













映像作品から

日の目を見る8

2011/04/13 Wed 13:40

 モノ作りの行程を記録した映像は、基本的に面白いものが多いのです。映画の学校などでは初歩の段階で「モノができるまで」なんて課題が出たりします。「何かの制作風景を分かり易く撮影して編集しろ」という課題です。料理番組なんかがまさにその課題通りに作られています。
 料理のように、エビデンスを中心に科学的数学的に作業を進めておきながら、突然「少々」とか「ひとつまみ」なんて感性に訴える文学的表現を平気で混ぜ込む作業を理解するには、動画はとても適したメディアであると思います。
 モノができるまでは、映像制作者の意図とは関係なくどんどん何かが出来上がってゆくのがいいのです。それらを丹念に撮影していけば、料理番組のように分かり易い作品に仕上がります。レシピをあとで提出すれば完全です。
 旧太田家修復復元作業も、モノができるまでの基本は整っている作業ではありますが、半分だけなくなった民家を、焼け残った部材も利用しつつ復旧するというのは、かなり複雑な工程で一から十まで眺めても容易に理解できないのでした。しかも、民映研の撮影スタッフは20年前の記憶がとても薄く、印象に残った事以外はきれいに削除された状態。しかし、文化財の修復作業ですから、立派な報告書が残っているのです。この報告書が大切な教科書となり、以後首っ引きで眺め回す事となるのです。
 58ロールの記録映像を試写すると、早送りでは気付かない事がありました。
 中村棟梁、その人です。棟梁が中心となって作業は進行します。というか、中村棟梁と助手の千葉くんの二人だけで進んで行くのです。もうひとり、なんでしょうか大工ではない助手のおじさんがひとり(氏名不明)。で、その中村棟梁なんですが、実に良くしゃべる。その言葉を聞いていると、江戸っ子の子孫的東京弁を使う。ビートたけしや、なぎら健一の言葉なんかがテレビから聞こえて来る東京弁です。東京生まれのシティーボーイの私的には耳に心地よい。しかしながら、これが作業に関係なくしゃべるのでやっかいだ。多分、編集で苦労するぞ。まだ、棟梁が画面に登場していれば救われるが、画面外で声だけ聞こえているのが始末に悪いのです。うるさい!少しは黙ってろ!って画面に語る自分が想像付きます。
 しかし、この棟梁の声はとても親切な解説でもあるんです。いちいち何をやっているかをスタッフに説明するので、その場にいなかった私でもそれがどのような意味を持つ行程なのかが、よーく理解できるのです。映像化されたモノを眺めるのは、客観的立場でいられますが、撮影中は、決して客観的な立場ではなく主観的に仕事をするので全体像が見えにくい事実があります。ですから、単純な作業をしているその意味までなかなか頭がついていかない。そこで、棟梁に質問をするのです。作業は梁材の復元。何本かある梁を復元する作業をその度に違うスタッフが撮影にいっているのです。で、その疑問を棟梁に投げかける。所長姫田がたずねる。丁寧に東京弁で答える。違う日。伊藤碩男さんが尋ねる。親切に東京弁で答える。違う日。青原君が尋ねる。「だからよー、いいか、もう一度説明するぜ、いいかい。」と凝りもせずに答える。まー、青原くんが質問したのはこのときが始めてなんだけどね。
これはいったい何を質問していたかと言うと・・・つづく・
をはら筆
 
映像作品から
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バナー旧太田家新作報告 バナー対論日本3

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